量子論を身近に感じる 6
テレパシーの開発法
そして、読み進めていくと、テレパシーの開発法という内容もありました。私は、まだヨーガに出会っていませんでしたので、たっぷり時間がありました。そこで、その方法を試してみました。
まず花に向かって、「顔を左右に動かしなさい」 と命じるのですが、花を他人の英知を認めるようにしっかりと認め、そして花の英知に意識で話しかけるというやり方です。
私は、花をじっと見て、「さあ、こちらを向いておくれ」、と心の中で念じました。それを毎日繰り返していると、何かの拍子に、ぴくっと花びらが動くことがありました。それが、テレパシーによる反応なのかどうかは分かりません。そのことを他人に話したら、とうとう頭がおかしくなってしまった、気の毒に、という顔をされました。
しかし、この時の花の英知へ意識で話しかけるコツは、私のロンドンの部屋にある鉢植えの植物を、冬を通して一年中花を咲かせることになりました。
気や想念に植物が反応することは、以前から分かっていました。
「しかし、私が、本当に、植物の反応を実感した体験は、ある病院の病室の中でした。
私は、時々気功を受けている男の人から、自分の父親を気功治療して欲しいと依頼されていました。(略)
病室へ入ると、いかにも気難しそうな元銀行員が、ベッドに横になっていました。私を意地悪そうな目で見ています。(略)
『ぼくは、気なんて信じていませんよ』
(略)
気功を施してニ十分くらい経った頃でした。
『あれ? 花が! 花が!……』 と、突然その人の父親が大声で言いました。(『いのちの力』 「植物がまっ先に気に反応する」 平凡社より)
お見舞いに来た人々が、チューリップや、ヒヤシンスなどの花々を持ってきて、それらの花瓶が病室の窓辺にずらりと並んでいました。もう日数が経っているのか、花々はだらりと下を向いて、葉っぱもしおれていました。それらが気功をした後に、みんな生き生きと、ピンと立っていたのです。これも量子もつれなのだと今では理解できます。
もう一つ、面白いことがありました。4年くらい前の話です。仙台へ出かけた時に、ある女性が、私のエッセイを読んだというのです。そして、ぜひ見て欲しいといって、スマホを取り出しました。
「先生のエッセイを読んで、私も藍の苗に話しかけてみました」 といって、素早くスマホの動画の場面を出しました。鉢には、藍の苗がもやしのようにびっしりと植えられていました。その女性は、この藍の苗が愛おしくて大好きだというのです。
女性に、「あいちゃん」 と呼びかけられた動画の苗は、いっせいに、ぶるぶると震えるような動きをしました。それを、2回、3回と繰り返しました。見事に女性の呼びかけに応えるように、ぶるぶる……ぶるぶると葉っぱや茎を震わせるのでした。
量子論は、スピリチュアルに近づいている
チャネリングによってもたらされたという、あるスピリチュアルな教えによれば、原子や分子には、それら独自の意識があると言います。板に打たれたクギの内部の原子や分子、岩石も鉱物も植物も動物も、空気さえも、おのおの独自の意識で満たされていないものは、一つもないというのです。
つまり意識の関与なくして形づくられた物体は、一つも存在しないというのです。それを、「内なる自己」 と呼びます。内なる自己は、体の感覚を通してではなく、それらとは別の、内なる伝達回路を通して知覚された情報どうしを、互いに関係づける働きをします。それは、三次元を超えた内なる知覚者ということもできます。内なる自己は、広大無辺で、私たちが過去に存在したことの記憶をすべて保持しています。
そのことを理解しないで、自分は一体何者かとい問いに答えをだすことはできないのです。(『セスは語る』 より参照)
これは、アダムスキーの宇宙哲学―人体を構成している原子に過去世が記憶されているや、量子論の量子に情報が不随するという考えと同じです。「内なる自己」 は、ヨーガの本当の自分(真我)とは何かということを理解する上でも、大変に参考になる教えです。
以上、長々と書きましたが、皆様のご参考になれば幸いです。
2021年10月25日 望月 勇