竹富島で日本人のルーツを考える

「量子もつれ」について考えたこと 2


 1935年、アインシュタインは論文を発表します。それは、量子力学は中途半端な理論で、完全に間違っている、量子力学の波動方程式に決定的な欠陥があると突きつけたものでした。
 アインシュタインは、頭の中で、宇宙の果てと果てを舞台にした実験を考え、波動方程式の計算をしました。この計算では、片方の宇宙の果てで右と観測された瞬間、もう片方の宇宙の果てでも右と観測されて、100%シンクロしてしまうのです。彼は、この自然界に 『テレパシー』 があるなんて一瞬たりとも信じられないと思ったのです。
 こうして 「量子もつれ」 と呼ばれる世紀の謎が生まれたのでした。

 1930年代、世界は第二次世界大戦に突入し、学問の軍事利用が進みます。量子力学は、アインシュタインに間違っていると批判されましたが、実験とつじつまが全て合っていましたので、核兵器やトランジスタなどの開発にも応用されていきます。

 アインシュタインのように、量子論は不完全だと考えなくても、計算して使いこなせば新しい発見はできたのです。実際、1950年までの20年間、物理学者は毎年のようにノーベル賞を獲得し、もてはやされていきます。こうして 「量子もつれ」 というアインシュタインの根源的な問いは、無視されていきました。

 ところが1951年、物理学者のデビッド・ボームが、量子もつれの問題を数学的に解明したという論文を発表しました。
 ボームは、量子力学では見ていない時には波のように振る舞い、なぜ見た瞬間にだけ粒として現れるのか、分かり易い解釈を見つけるべきだと考え、波動方程式を別の形に書き表せることを見つけました。
 それは、これまで見たことがない 「新しい力」 を意味していました。この力のもとでは、いくつもの粒の軌跡を重ね合わせると、波のような模様になるのです。
 この粒に働く 「新しい力」 は、宇宙全体から一瞬で影響を及ぼすような力です。ボームは、これらの粒は、この宇宙からの 「新しい力」 に従っているので、左右どちらに進むかも同じになるというのです。これなら理由のないシンクロ(量子もつれ)は説明できるとしたのでした。

 この自信をもって発表したボームの理論には、アインシュタインを信奉する物理学者たちから軽蔑に満ちた批判が相次ぎました。やがて彼は失意のうちにプリンストン大学を追われ、不眠や体調悪化に悩まされながらも、宇宙全体からの力はあると信じ続けようとしました。そして思索を深める中で彼は、次第に超能力や神秘主義に近づき、傾倒するようになっていきました。
 このようなボームの姿を見た物理学者たちは、量子もつれの謎に手をだしたら、研究者として生きて行けなくなると考えて、ますますこの問題から距離を置いていきました。しかし、誰もが否定したボームの理論が、やがて革命をもたらすことになるのです。

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