竹富島で日本人のルーツを考える

「量子もつれ」について考えたこと 3


 1952年、ジョン・ベルは、ボームの論文のコピーを読んでものすごい感銘を受けました。ボームは、非常に明確な方法で、不可能だと言われた証明を論破し、問題を再び提起してくれたとベルは思ったのでした。
 波や分身といった考えを否定したアインシュタインを強く支持していたベルは、ボームの量子もつれのメカニズムに迫ったボーム理論を読んだ途端、夢中になったのでした。そしてボームの不遇の半生を知っていたベルは、したたかに、量子もつれの謎に取り組み、ベルは、机上の空論とされた量子もつれがあるかないか、を判別できる方法を突き詰めて考えました。
 量子もつれとは、理由もなくシンクロする現象です。ボームはその理由として、「宇宙からの力」 を仮定しましたが、それでも実証はできません。そこでベルはまったく違うアプローチをとりました。

 そして彼は、「ベルの不等式」 作りました。これが、彼が発見した量子もつれがあるかないかを判別する数式です。この一行の数式が 「机上の空論」 と言われた量子もつれに革命をもたらしました。この不等式が成り立つ限り、シンクロには理由があり、「量子もつれは存在しない」 と証明できるからです。

 最初の挑戦者は、ジョン・クラウザーでした。彼は、ベルの論文に感動して、尊敬していたアインシュタインのいうように、量子もつれなど存在しないのではないか、それを自分の実験で証明したいと考えました。
 クラウザーは、電子回路から光の装置まで、すべてを一から設計し、2年かけて世界で初めて量子もつれを実験で検証できる装置を完成させました。
 その実験結果は、「ベルの不等式は成り立っていない」 というものでした。彼は失望しました。アインシュタインの大ファンだったのに、アインシュタインが間違っていたということを証明してしまったからです。

 ところが、この実験には不備があるという指摘が相次ぎました。クラウザーの装置は、長さが5メートルしかなく、光子と光子がシンクロした可能性があるというのです。当時としては、どう頑張っても、この抜け穴を塞ぐことはできませんでした。そして彼は、研究室を去ることになったのでした。

 二人目の挑戦者は、アラン・アスペでした。彼は、このクラウザーの結果を知り、自分も実験したいと思いました。そして思考錯誤の末、クラウザーが果たせなかった抜け穴を塞ぐアイデアを思いつきました。クラウザーの抜け穴は、実験装置が5メートルしかなく、光の粒、光子と光子が何らかの情報交換をした可能性が否定できませんでした。
 そこで彼は、実験装置の長さを12メートルにして、眼鏡の洗浄に使う機械と同じ原理で水を超音波で震わせ、乱反射させて、光子と光子がシンクロしない装置を作ったのです。
 そして、1982年、ようやく実験結果を出しました。それは、ベルの不等式はやはり成り立たず、「量子もつれ」 があるという判定でした。

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