ブッダガヤのスーパームーン (4)
早朝、バラナシのガンジス河でボートに乗り、ガンジス河の岸辺を見学しました。まだ薄暗い中に、沐浴をしているヒンズー教徒たちの男性や女性がいます。洗濯屋さんが、洗濯物を岸辺の砂地に広げて干してあります。まだ薄暗い闇に、赤々と炎を上げ、荼毘に付している火葬場もあります。薪が燃え尽きて遺体が灰になった個所は、それを川へ無造作に放り投げています。
そのうちに、川向うの地平線から、真っ赤な太陽が昇ってきます。
その真っ赤な太陽の光が、ガンジス河に朱色に映えて、きらきら輝いています。
ある参加者は、「インドでは、ガンジス川から上る真っ赤な太陽が、裸眼でもまぶしくなく見えます、という先生のお話に、ぜひ、参加したくて来ました」と言い、「本当に真っ赤な太陽が、まぶしくなく見えました、参加してよかったです」と話してくれました。
「ガンジス河へ来て、自分が変わりました、人生観が変わりました」という人もいました。
その頃には、ボートを岸辺に着けて、一行はガンジス河のほとりで瞑想をしました。
参加者の瞑想の中には、様々な至高体験があったようです。8千年の歴史があるバラナシには、大昔から仙人や賢者、聖者たちが集まりました。ブッダもその一人でした。その聖者たちのオーラに包まれた空間で、瞑想をしているという至福に、私はガンジスの悠久の流れに、ただ身を任せていました。
その夜、私は、今までの旅を整理していました。2016年11月14日、私が生まれた年から68年目にして、スーパームーンに会い、ブッダの聖地、ブッダガヤで瞑想し、満月を見て名状し難い感覚に襲われました。そして、赤い満月の横に、まぎれもない未確認飛行物体の出現がありました。
この時、未確認飛行物体がきっかけで、ふと心によぎった光景がありました。それは、鎌倉時代、日蓮宗の開祖日蓮が、真夜中に斬首されようとしている光景でした。昔はお坊さんは真夜中に処刑されるのが決まりでした。まさに首を刎ねられようとしたその時、江の島の方角から、玉のように丸い光りものが、まばゆい光を放って、刀を振り上げた幕府の役人目がけてやって来たのです。そのため役人は慌てふためき、刀を落とし、処刑は失敗に終わった、と日蓮は自伝の手紙で述べています。映画や芝居では、雷の稲妻で刀が折れたというふうに表現していますが、実際は未確認飛行物体の仕業らしいのです。
日蓮は、竜ノ口の刑場で斬首さようとする前に、源氏の守護神である鶴岡八幡宮の御神体へ向って、ただいま日蓮が首を刎ねられようとしているのに、何をしているのか、と叱咤しています。このような日蓮の妥協を許さない烈しい信念は、日本ではまれにみる一神教のようだと思いました。
その後に、私たち一行は、インド北部のアグラにあるタージマハルへ向かいました。
タージマハルは、装飾美術の粋をこらした白大理石造りで、代表的なイスラム建築として世界文化遺産に登録され、世界中の観光客に絶大な人気スポットとなっています。ただこの美しい建物は、お妃のお墓なのです。イスラムの歴史は、自分の親を幽閉したり、兄弟で殺し合いをしたり、いつも血で血を洗う権力闘争に支配され、多くの人々の犠牲によって美しい建築が作られてきました。
私は、タージマハルは確かに美しい建物であるとは思いますが、見学しているだけで心が疲れてしまいます。このような場所で、瞑想しようとは思いません。
ただこの場所で、私の心を愉快にしてくれたことが、一つありました。
今、タージマハルの白大理石は、大気汚染でダメージを受けて、くすんでいます。それを何とか保護しようということで、一般のバスや自家用は、タージマハルから離れた場所に停めて、そこからエコカー(電気自動車)に乗りかえて行くように義務づけられています。
私たち一行は、見学の後、エコカーで観光バスへ戻るのですが、すでに夕暮れになっていて、エコカーの利用客が多くて直ぐに乗ることができません。どれくらい待てば乗れるかも分かりません。そんな状況で、インド人のガイドさんが機転を利かしてくれて、30人分のリキシャを雇ってくれました。リキシャは、幌の着いた車体を自転車で引くのです。幌の中は二人座って乗れます。
しかし、リキシャに乗っても車夫はぐずぐずして、ちっとも動かす気配がありません。中には、もっとお金を払えと米ドルを要求された人もいます。私は、車夫たちの不満を察しました。インド人のガイドさんが、一括してインド料金で車夫にお金を払ったのです。インドでは、入場料などの料金は、外国人とインド人で差をつけて2~4倍違います。そこで、外国人だったらもっと金を払えと不満を持っていたのです。そこで、インド人のガイドさんは、ちょうど横綱の曙のような巨体で、顔も曙そっくりでしたが、その不満な車夫たちへ、恐ろしい形相で烈火のごとく怒鳴りつけ、車夫のまとめ役へちょっと札束を渡したので、彼らの不満は治まりました。
そうして、ようやく車夫たちはリキシャをこぎ始めました。サドルに跨った車夫のお尻が、いやに小さく見えました。道は少し坂になっていて、二人を乗せて自転車で引っぱるのは、結構大変そうでした。
女性のMさんのリキシャは、もっと難儀そうでした。車夫が、「あんたたち二人は、とにかく重いんだよ」とぐちを言っています。そういえばお二人とも結構体格がいいので、確かに重いのかもしれません。重くてもそこは仕事だから、頑張らなければならないのに、何やらぐちをこぼして、インド人のリキシャの車夫は、自転車のペダルをこぐのを嫌がっていました。そんな状況を察知して、Mさんはだらしがない車夫に代わって、サドルに跨りペダルをこぎ始めたのです。