望月勇プラーナヨーガ気功 エッセイ ヨガの友として共に生きた、かけがえのない日々

ヨガの友として共に生きた、かけがえのない日々 (4)


 「表現は異なっても、私も先生の言葉や入院中の経験を通して全く同じ気持ちでがんについて解釈していました。言葉を換えれば、一つのグループ(かたまりで)でカルマを解消する為に同じ時期を選んで病気になった。と言うような事を大谷さんも私も感じていました」
 「お互い病気について心配事をぶつけ合ったり、寄り添ったりはせず、そこはそれぞれ人の世話はしないスタンスでやっていました。何というか、もちろん恐怖が無いわけではありませんが、ネガティヴな事は共有してもお互いにとって良くない事を、先生のヨガを通して言わずとも分かっていました。だから、大谷さんは私の心に影響を与え過ぎないように、ご自分の本当の病状を私には全部明かさなかったのではないかと思います」
 「大谷さんは几帳面で、ヨガやショウガ紅茶など毎日やるべきと決めたらきちんと休まずできる方です。ところがある時期、病状が好転せず、なぜ???という気持ちがストレスになっているように感じましたので、『 ま、どうでもいいかぁ』 でいいんだよ。とお話しした事があります。何かに納得いかない時も、この言葉を言うと、不思議と許せるよ、とお伝えして仙台駅で別れました」
「その後大谷さんからメールが来て、『ま、どうでもいいかぁ、最高!! 気が楽になって、おまじないみたいに繰り返してます。今日はパジャマでダラダラ、ヨガもサボりました!』などと私のさり気ない言葉を素直に受け入れていらっしゃいました」

 大谷さんは、ガンの病状が一行によくなりませんでした。その反対に、Aさんの病状はどんどんよくなって、今は元気に社会復帰しています。

 「こうして大谷さんとお付き合いするにつれて、何十年も仲良しの友人と全く変わらない関係になりました。今思うと、彼女にとって、病気をきっかけとして定期的に仙台に足を運び、Cさんや他の方々、私に会うことを、新しい楽しみに変えて更に人生を楽しんでいらしたと思います。
 私にとっても、1人ではなく大谷さんと心と体に向き合えて同じ時を過ごせて、本当に大谷さんにはありがとうの気持ちでいっぱいです」

 またCさんは、「大谷さんは女優をやめてからも、生き方はまるで女優のように、私生活をベールにくるんで、どこでも軽やかに、優しく人に接してくれました。そして、望月先生から学んだヨガを、直接会うことができない人たちに、おしげもなく伝えることを大切にし、最後まで貫かれました。すっと背筋が伸びている美しい姿で、いつも笑顔で、望月先生とうり二つのように、同じヨガを伝えられていました」

 「大谷さんとは、この3年間、たくさん会って、たくさんおしゃべりして、たくさん一緒にヨガをしました。一緒にヨガを行うと、次元が変わったように、今までの言葉の理解が、さらに体感で分かるようになりました。
 毎回、毎回、気づきやひらめきがあって、それを思うままに言葉にしていくのが、二人にとって最高に楽しい時間でした。そこには、必ず望月先生もいました。私たちは、いつも望月先生のことを少女のように、きゃぴきゃぴ話していました。



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