ヨガの友として共に生きた、かけがえのない日々 (6)
「今度は、違う病院を訪ねました。週末の病院はガランとしてロビーにもほとんど人はいません。途方にくれてベンチに座っていると、たまたま近くに座っていた方(誰かのお見舞いにきていた)とお天気や世間話になりました。ダメもとで、私の友人を探していると話してみると、なんと!!その方は偶然大谷さんをご存知だったのです。病院で知り合い、大谷さんが仙台に行くたびにヨガの友達の事、オルゴナイト(パワーグッズの一種)を作った事など本当に楽しそうに話していたそうです。
大谷さんは1月21日に入院したそうで、その時元気にスタスタ歩いていたのだそうです。ところが、わずか2日後の1月23日にお亡くなりになったと。
私は、1月以降毎朝イメージで大谷さんと気の交流を行っていましたので、大谷さんがこの方に会わせてくれたな!と、直感しました。
この1月からの張り詰めた気持ちが一気にほどけ、私は悲しいというよりすっきり爽やかな気分さえしました。その方にピンクの花束をもらってください、とお願いすると、大谷さんの為に快く受け取ってくださいました。大谷さんはやっぱりすごい人と改めて思いました」
「きっと大谷さんは最後まで気力にみなぎり、全くいつもの大谷さんとして過ごされていたに違いありません。ただ大谷さんが思っていたより少し早く体の方が機能を止めてしまっただけなのです。大谷さん、全てやり遂げて本当にお見事です!」
以上の大谷さんの軌跡を調べて行くと、大谷さんは、ご自身の心に、「死ぬまでにしたいことは何か?」 という問いかけをしていたのではないでしょうか。とくに、Aさんは病状がよくなっていくのに、大谷さんは一向に病状が改善していきませんでした。
そのような状況の中で、大谷さんはヨガを疑うことなく実践して、ご自分の心に、死ぬまでにしたいことは何か、を問いかけたと思います。このような問いかけは、死を意識しますが、反面、今生きているという実感が強く湧いてくるのも事実です。
私は、2016年の秋、大谷さんと仙台ヨガの後、夕食をご一緒しました。彼女は、宇宙に感謝し、生かされていることに感謝し、ヨガを教えてくれた私に感謝し、そしてAさんとCさんに友だちになれ、本当に楽しく過ごしたことに感謝していました。
大谷さんは、2016年3月5日、17年ぶりにロンドンへ来られて、ロンドンに持っていた家を処分し、岩手で10年間ヨガを教えた難病連へ最後の挨拶に出かけ、お母様と最後の別れをして、亡くなる2日前に入院して、宇宙へ帰って行かれました。
5月頃まで消息が分からなかった大谷さんに関する以下の記事を、Cさんのご主人がインターネットで見つけました。
☆ ヨーガ同好会号泣 大谷リーダー逝く ~ヨーガを率いて10年~
平成19年から平成29年1月14日まで10年間もの長い間、毎月ヨーガを指導くださった大谷朱美さんが1月23日に急逝されました。
難病連には1月19日(木)に来室され、しばらくヨーガをお休みさせてほしいと、来室されました。それから4日後、よもやお別れになろうなどとは思いもしないことでした。
大谷さんは、30年近いロンドン生活の後にご母堂の介護のために帰国されました。同時に難病連の仲間と共に、ヨーガ教室を開設し、ひとり100円のカンパは、いつもそっくり難病連にご寄付下さいました。
自らの病と闘いながら精いっぱい命を燃やし、関わる一人ひとりにあったかい思い出を残してくだいさました。大谷さん、私たちはあなたをいつまでも忘れません。心からご冥福をお祈りいたします。
TSK いわてなんれん No.104
(略) 難病とたたかう多くの人々と出会い、療養生活と共に生きる力を分かち合ってきました。そうしたなかで、今年もお世話になった大切な人々とお別れしなればなりませんでした。とりわけ、難病連をささえて下さり難病の方々の療養の一助にと、ヨーガを毎週土曜日に10年もの間指導くださいました。いつも多くの方々に癒しの言葉をかけて下さった大谷朱美さんとのお別れは、切ないものがあります。心からご冥福をお祈りします。難病相談のスタッフは、悲しみを乗り越えて、志半ばで逝かれた方々の思い出を心にとめていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。
一般社団法人岩手県難病・疾病団体連絡協議会 代表理事 千葉 健一
ヨーガは、生き方であるということを
身を持って示してくれた人
大谷朱美さん!
あなたは、小柄で、きりりとして、
60歳というのに、40代の若さに見えました
また再会できる日があることを
私は信じて疑いません
身を持って示してくれた人
大谷朱美さん!
あなたは、小柄で、きりりとして、
60歳というのに、40代の若さに見えました
また再会できる日があることを
私は信じて疑いません
望月 勇
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