太古、人類の祖先は古細菌であった 2-1
なぜ現生人類は、体毛を失ったのか?
単細胞生物から多細胞生物になり、脊椎動物と無脊椎動物に分かれ、そうして陸に上がり、爬虫類、鳥類、哺乳類などに進化して現生人類ホモサピエンスが誕生します。
ミトコンドリアの細胞膜は、動物の皮膚にあたります。細胞膜には感覚があり、判断する力があります。動物の皮膚は、鱗におおわれていたり、毛皮におおわれていますが、人間は、素肌で毛におおわれていません。大昔は猿と同じように、体毛におおわれていたことでしょう。
では、なぜ現生人類は、体毛を失ったのでしょうか。海で増え続けた多細胞生物は、全身にばらまかれた細胞膜の感覚器官が神経になり、それが集まって神経網になり、その一部が脳になったと考えられています。もともと細胞膜(皮膚)には、いろいろなものを感じる感覚がありました。それが鱗や体毛でおおわれていたら、皮膚の感覚は鈍るかもしれません。現生人類が体毛をなくしたのは、120万年よりも前ではないかと言われています。体毛を失ったことで、体温をコントロールできたり、触ったり、見たり、聞いたり、味わったり、嗅いだり、予知したり、考えたりする皮膚の能力が増し、生存していくのに有利だったのではないかというのです。また、皮膚感覚が増したことで脳が大きくなったという説もあります。(『皮膚感覚と人間のこころ』傳田光洋、新潮選書)
こうして私たち人類は、細胞膜の感覚から神経になり、それが集まって神経網になり、脳が出来上がっていったのです。そうして60兆個(今は37兆個といわれています)の細胞をコントロールする大脳皮質ができてくると、大きな脳を持ち、どの動物からも抜きんでた前頭連合野の存在によって、自発的な意思や創意工夫のできる特別な生き物という考えになっていきます。人間は特別だという意識です。確かに一面では、他の生き物と比較したら、そういえるかもしれません。
そうして、大脳皮質を備えた人間は、身体を維持するシステムを作りつつ、意識を発達させていくのです。人間の意識は、過去、現在、未来の自分は同じ自分であると思い、ものごとを判断し、決断する司令塔のようなものです。意識は、すべてを掌握していると思いたがるようです。
他方、皮膚感覚があります。よく肌で感じるという言い方をしますが、それはまさに皮膚感覚のことです。脳で考えた意識ではありません。
昔、若い時にアフリカを旅しました。私は、何回も命にかかわる事故を未然に防ぐことができました。それは、今思い出すと意識ではありませんでした。迷う意識(言葉)を止めて、皮膚感覚に任せたのだと思います。
私の知人に、地震が来る前に予知できる人がいます。彼女に聞くと、肌で感じるというのです。きっと地震の超低周波を肌で感じるからかもしれません。
アフリカで思い出しました。最近は、テレビの番組で世界中の国へ旅行することができます。私は、テレビでケニヤの場面を見ていて、頭では懐かしいと思うのですが、何か物足りない感じがしたのです。ケニヤとタンザニアの国境で会ったマサイ族たちは、小型バスを待っていました。ほとんど女性で、カラフルなビーズをつけて、腰かけもせず、細い長身で突っ立っています。サバンナでは、座ると猛獣を警戒できないからでしょうか。
そのうちに、女性の足元から土煙が立ちました。私は不審に思って、女性の足元を観察しました。すると、どうも腰巻のような服に包まれた足から流れて落ちている液体が、土煙を立てているようでした。私は、あっと気がつきました。女性は、何食わぬ顔で立小便をしたのでした。陽射しの強い乾燥した大地では直ぐ乾くのでしょう。
小型バスが来て、マサイの女性たちと座席に座りましたが、アンモニアの強烈な臭いに閉口しました。ホテルへ着いてシャワーを浴びても臭いは落ちませんでした。テレビで物足りなさを感じたのは、この皮膚感覚がなかったからでした。
脳の司令塔である意識は、意識したときにしか現れません。食べているときに、「私は今たべている」 と意識して食べていません。私は、呼吸している時に、「私は呼吸している」 と意識して呼吸をしていません。
私たちの動作は、身体(皮膚)の感覚がやってくれるので、意識はむしろ動作の邪魔になるというのです。熱いと感じて、すぐ手をひっこめるのは、皮膚の感覚が働くからです。意識では感覚よりも0.5秒遅れてしまいます。
それは、ベンジャミンン・リベット博士が、実験によって、人間の脳は物事を意識するのに0.5秒かかるという驚くべき発見をして分かりました。(『マインド・タイム 脳と意識の時間』)
「私たちは、脳が動きを意識してから、0.5秒後に見ているというのです。(略)野球のバッティングでも、名選手になると球が止まって見えたという話を聞きます。昔の剣術の達人が、相手が切りかかる前に、切ってしまうことができたのは、おそらく達人はその0.5秒の秘密を知って、相手の動きを0.5秒早く見ることができ、結果的に相手は0.5秒過去にいることになるからです。(略)実際、鎌倉時代の僧、慈恩が創始した念流に 「過去の術」 という秘伝があり、(略)その秘伝を宮本武蔵の父、無二斎が学んでいるので、武蔵も 「過去の術」 を知っていた可能性があります。」(『いのちの知恵』望月勇著、KADOKAWA)
単細胞生物から多細胞生物になり、脊椎動物と無脊椎動物に分かれ、そうして陸に上がり、爬虫類、鳥類、哺乳類などに進化して現生人類ホモサピエンスが誕生します。
ミトコンドリアの細胞膜は、動物の皮膚にあたります。細胞膜には感覚があり、判断する力があります。動物の皮膚は、鱗におおわれていたり、毛皮におおわれていますが、人間は、素肌で毛におおわれていません。大昔は猿と同じように、体毛におおわれていたことでしょう。
では、なぜ現生人類は、体毛を失ったのでしょうか。海で増え続けた多細胞生物は、全身にばらまかれた細胞膜の感覚器官が神経になり、それが集まって神経網になり、その一部が脳になったと考えられています。もともと細胞膜(皮膚)には、いろいろなものを感じる感覚がありました。それが鱗や体毛でおおわれていたら、皮膚の感覚は鈍るかもしれません。現生人類が体毛をなくしたのは、120万年よりも前ではないかと言われています。体毛を失ったことで、体温をコントロールできたり、触ったり、見たり、聞いたり、味わったり、嗅いだり、予知したり、考えたりする皮膚の能力が増し、生存していくのに有利だったのではないかというのです。また、皮膚感覚が増したことで脳が大きくなったという説もあります。(『皮膚感覚と人間のこころ』傳田光洋、新潮選書)
こうして私たち人類は、細胞膜の感覚から神経になり、それが集まって神経網になり、脳が出来上がっていったのです。そうして60兆個(今は37兆個といわれています)の細胞をコントロールする大脳皮質ができてくると、大きな脳を持ち、どの動物からも抜きんでた前頭連合野の存在によって、自発的な意思や創意工夫のできる特別な生き物という考えになっていきます。人間は特別だという意識です。確かに一面では、他の生き物と比較したら、そういえるかもしれません。
そうして、大脳皮質を備えた人間は、身体を維持するシステムを作りつつ、意識を発達させていくのです。人間の意識は、過去、現在、未来の自分は同じ自分であると思い、ものごとを判断し、決断する司令塔のようなものです。意識は、すべてを掌握していると思いたがるようです。
他方、皮膚感覚があります。よく肌で感じるという言い方をしますが、それはまさに皮膚感覚のことです。脳で考えた意識ではありません。
昔、若い時にアフリカを旅しました。私は、何回も命にかかわる事故を未然に防ぐことができました。それは、今思い出すと意識ではありませんでした。迷う意識(言葉)を止めて、皮膚感覚に任せたのだと思います。
私の知人に、地震が来る前に予知できる人がいます。彼女に聞くと、肌で感じるというのです。きっと地震の超低周波を肌で感じるからかもしれません。
アフリカで思い出しました。最近は、テレビの番組で世界中の国へ旅行することができます。私は、テレビでケニヤの場面を見ていて、頭では懐かしいと思うのですが、何か物足りない感じがしたのです。ケニヤとタンザニアの国境で会ったマサイ族たちは、小型バスを待っていました。ほとんど女性で、カラフルなビーズをつけて、腰かけもせず、細い長身で突っ立っています。サバンナでは、座ると猛獣を警戒できないからでしょうか。
そのうちに、女性の足元から土煙が立ちました。私は不審に思って、女性の足元を観察しました。すると、どうも腰巻のような服に包まれた足から流れて落ちている液体が、土煙を立てているようでした。私は、あっと気がつきました。女性は、何食わぬ顔で立小便をしたのでした。陽射しの強い乾燥した大地では直ぐ乾くのでしょう。
小型バスが来て、マサイの女性たちと座席に座りましたが、アンモニアの強烈な臭いに閉口しました。ホテルへ着いてシャワーを浴びても臭いは落ちませんでした。テレビで物足りなさを感じたのは、この皮膚感覚がなかったからでした。
脳の司令塔である意識は、意識したときにしか現れません。食べているときに、「私は今たべている」 と意識して食べていません。私は、呼吸している時に、「私は呼吸している」 と意識して呼吸をしていません。
私たちの動作は、身体(皮膚)の感覚がやってくれるので、意識はむしろ動作の邪魔になるというのです。熱いと感じて、すぐ手をひっこめるのは、皮膚の感覚が働くからです。意識では感覚よりも0.5秒遅れてしまいます。
それは、ベンジャミンン・リベット博士が、実験によって、人間の脳は物事を意識するのに0.5秒かかるという驚くべき発見をして分かりました。(『マインド・タイム 脳と意識の時間』)
「私たちは、脳が動きを意識してから、0.5秒後に見ているというのです。(略)野球のバッティングでも、名選手になると球が止まって見えたという話を聞きます。昔の剣術の達人が、相手が切りかかる前に、切ってしまうことができたのは、おそらく達人はその0.5秒の秘密を知って、相手の動きを0.5秒早く見ることができ、結果的に相手は0.5秒過去にいることになるからです。(略)実際、鎌倉時代の僧、慈恩が創始した念流に 「過去の術」 という秘伝があり、(略)その秘伝を宮本武蔵の父、無二斎が学んでいるので、武蔵も 「過去の術」 を知っていた可能性があります。」(『いのちの知恵』望月勇著、KADOKAWA)