太古、人類の祖先は古細菌であった 2-5

太古、人類の祖先は古細菌であった 2-5

意識と二分心
 ここで、人間の意識について考えてみましょう。
 「ああ、この心という、実体なき国。(略)自己の中の自己、すべてでありながら何ものでもない。この意識ーいったいその正体は? 
そして、それはどこから生まれてきたのか? 
そして、なぜ?」 
(『神々の沈黙』ジュリアン・ジェインズ著、柴田裕之訳、紀伊國屋書店)

 心理学者ジュリアン・ジェインズは、著書でこう述べ、その答えを探しました。
 彼は、ギリシア叙事詩 『イーリアス』 や 『オデッセイア』、『旧約聖書』 などの分析から、そこには、意識という言葉がでてこないことに気がつきます。そして、登場人物の行為は、「神の意志」 であることを発見しました。そのことから意識は、3000年前に生まれたもので、それ以前にはなかったと主張します。
 神々は右脳に囁きかけ、右脳は命令を下す 「神々」 で、左脳はそれに従う 「人間」 で、この二分された心を 「二分心」 と名づけました。世界文明を創造したのは、この二分心だというのです。
 やがて、文字が発明され、異なる文明の交流が始まると、神の声は意識に変わり、二分心は崩壊し、そして神々は沈黙したというのです。以後、社会システムを維持するための認識、判断、行動は、意識にゆだねられることになります。

 人間の脳には左脳と右脳があり、生理学的にも、左脳は書く、話す、計算する、などの論理脳です。右脳は直感などイメージ脳です。
 二分心などは、ちょっと信じられないと思いますが、ジェインズは、「だがそうした幻聴の声とは、どのようなものだったか。外部で発せられる声と同じように聞こえる内なる声がありうるなどとは想像もできないという思う人もいる。なんと言っても、脳には口も発声器官もないのだ。」 と述べています。

 そして、ご自身の体験談を、こう述べています。「ある午後、私は考えがまとまらないことに嫌気がさして、長椅子に寝転んだ。突然、まったくの静寂の中で、きっぱりとした大きな声が、私の右上の方から明確に聞こえてきた。その声は言った。『認識の中に、認識我を含めよ!』 それを聞いて私は思わず立ち上がり、滑稽にも 『何ですか?』 と大声を張り上げ、声の主を探した。その声が聞こえてきた場所ははっきりしていた。だがそこには、誰もいなかった。恐る恐るのぞいてみた壁の向こうにも、いなかった。私はこのわけのわからぬ深遠な出来事を、神の霊感によるとは思わないが、過去に自分は選ばれた特別な者だと主張する人たちが聞いた声と類似したものだと考えている。」
 そして、「完全に正常な人が、そうした声をもっと継続的に聞くこともある。本書の理論について講演すると、講演後に聴衆の何人かがやって来て、自分に聞こえる声について話してくれるのにはいつも驚かされる。」

 このような話を聞くと、私にも、実はこのような体験がありました。20代の頃、インドの仏教の聖地ブッダガヤを歩いていた時のことでした。私が、思わず叫び声をあげてしまった時、でした。
「まわりのインド人たちは、大声を出した私の顔を怪訝そうに振り返りました。同時に、すぐ傍にいた牛も驚いたのか、ぐるりと大きな顔を回して私のほうを振り向きました。一瞬、牛の瞳が私の目をじろりと見ました。そのときです。私は、『汝、崇高であれ』という言葉をはっきり聞きました。私は本当に牛が言葉を発したと思い、電気に打たれたようなショックを受けて、その場に立ち尽くしました。
 もちろん、牛が人間の言葉を話したわけではありません。しかし私は、牛の瞳から明確にそのメッセージを受け取りました。言い換えれば、何者かが 『汝、崇高であれ』という強烈な想念を、牛を通じて私に送ってきたのでした。」(『気の言葉』望月勇著、講談社)
 この体験を思い出して、私も ギリシアの 「イーリアス」 時代の古代人と同じように、右脳で 「神の声」 を聞いたことと同じことをしていたことにならないのかという思いでした。

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