「自分とは何か?」 ある読者からの質問に答えて

「自分とは何か?」 ある読者からの質問に答えて 5

私にとっての 「生命記憶」 と二分心
 私にとって旅とは、「生命記憶」 に触れる体験ができるからです。遠い太古の自分の面影を、「なんと言ったらいいのか、筆舌に表わせない何か」 がかすめるからです。皆さんは、そんな体験はおありでしょうか。
 今、ふと思ったのは、以前カトマンズ最古の仏教寺院スワンヤブナート(目玉寺)を訪れました。余りにも観光客が多いので、静かな場所を探しました。観光スポットから外れて、何の変哲もないお寺へ入りました。そして、観光客の来ない静かなお寺の境内で、ヨーガの皆さんと瞑想をしました。私の背後に、多くの猿たちが集まってきているのが分りました。猿たちも、静かに瞑想しているようでした。私は、この時、大昔の自分の面影を見るようでした。この場所に集ったヨーガの同志は、「生命記憶」 由来による仲間たちであり、この瞑想は、「盲亀浮木※」 であると思うと、何とも表現できない、忘れがたい思い出になりました。
(※「法華経」に説かれている説話。海底に百年に一回浮上する一眼の亀がいて、この盲亀が一浮木の孔に出逢うことはほとんど不可能といってよいほど困難なこと。仏にめぐり合うことの難しさの譬え。)
 どうか皆さんも、「生命記憶」 を思い出してみてください。きっといろいろな発見があります。それが、心を豊かにしてくれます。

 それから、右脳と左脳の働きである二分心です。私は、心理学者ジェインズの二分心を、インドのブッダガヤで、体験したことがありました。
 こういう話しをすると、「それは特別な人だから……」、と言って引いてしまう人が多いのですが、こういう人は瞑想をしてください。瞑想は、頭を空っぽにするためにあるのではありません。徹底思考の瞑想があります。
 考えてください、というと人は、考えていますと言いますが、実際は心配していることがほとんどです。心配することは、考えていることではありません。

 それでは、静かに目を閉じてみます。そうして二分心を思い描いていると、やがて、私のまぶたに、昔の友だちが思い浮かんできます。彼は、おばあちゃん子で、ちょっと不良っぽい男でした。何か悪いことをしようとすると、おばあちゃんの、「悪いことをしては、だめだぞ!」 という声が聞こえたというのです。そのため今まで法を犯さずに生きてこれたと言います。そんな昔のことが思い出されました。これも、右脳の神が、悪を戒め、左脳がそれに従ったと言えないでしょうか。このような悪ガキでも、二分心の右脳の神の声を聞いているのですから、特別な人だけが聞いている訳ではありません。

 それから、私のまぶたに、風景が浮かんできます。……砂漠です。シナイ半島の砂漠を、私は一人歩いています。ワディ(涸れ谷)が、二つに分かれています。私は、途方にくれて、泣きそうです。その時、「あんた、がんばんなよ!」 という母の声が聞こえました。そんな思い出が、心の底からふと浮かび上がってきました。こうして、瞑想をしながら思い出すと、右脳の神の声は、過去からかなり囁きかけていたことが分かります。ただ右脳は意識していませんから、ほとんど覚えていないだけなのです。

 こんなふうにして、旅の 「生命記憶」 や、二分心を、ご自分の身に当てはめて考えてみることをお勧めします。瞑想を通して、レンマ的知性を使ってください。

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