「自分とは何か?」 ある読者からの質問に答えて 7
「卵と壁」についてのシステム
それから、システムのことを考えてみてください。皮膚感覚のような人間の身体を維持するシステムから、意識が身体を離れて社会のシステムを作っていくのです。
作家村上春樹は、エルサレム賞・受賞のあいさつで、システムについてこう述べています。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」(村上春樹 「壁と卵」雑文集、新潮文庫)
硬く大きな壁は、爆撃機や戦車やロケット弾や機関銃を表し、脆い殻を持った卵は、非武装市民です。
「こう考えてみてください。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれに一つの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとって硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは 『システム』 と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです」 (同上)
「私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただ一つです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに搦めとられ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。」(同上)
最も純粋な尊厳
皮膚感覚とシステムは、相入れないところがあります。個人と社会、尊厳とシステムと言ってもいいかもしれません。芸術家と管理職といってもいいです。
前のエッセイにも書きましたが、話すことがまったくできない、自分で体をほとんど動かすことができない、身体障害者の青年を施術した時、その青年のほほ笑みに、胸を撃たれました。崇高さに射抜かれた感じでした。医師からは、意志疎通はできないと言われている青年でした。
その青年に、私は、心を撃たれたのです。この青年は、何かを持っていると。
それが確信になったのは、『沈黙を越えて』(柴田保之著)を読んで、知的障害者たちが、内に秘めた言葉を紡ぎはじめたのを知ったからでした。パソコンにスイッチワープロなどをつなぐ器具、意思伝達装置が開発されて可能になったのでした。
彼らは、村上春樹がいう 「かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵」 です。そして施設とそこで働く人たちに、いい意味でのシステムに護られていますが、無能に生きている訳ではありません。一見植物人間のような彼らが、パソコンに紡ぎだす言葉は、とてつもない深い心で、日々を生きているのです。まさに魂の尊厳を守るために、ただひたすら、けなげに生きているのです。
最も純粋な尊厳を持っている人たちは、身体障害たちである、と。
私は、そう思うのです。医師から意思疎通はできない、とレッテルを張られた、あの鑑真のような微笑をたたえた青年の心に、純粋な尊厳を秘めている気がしてならないのです。それは、純粋なレンマ的知性なのでありましょう。
それから、システムのことを考えてみてください。皮膚感覚のような人間の身体を維持するシステムから、意識が身体を離れて社会のシステムを作っていくのです。
作家村上春樹は、エルサレム賞・受賞のあいさつで、システムについてこう述べています。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」(村上春樹 「壁と卵」雑文集、新潮文庫)
硬く大きな壁は、爆撃機や戦車やロケット弾や機関銃を表し、脆い殻を持った卵は、非武装市民です。
「こう考えてみてください。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれに一つの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとって硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは 『システム』 と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです」 (同上)
「私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただ一つです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに搦めとられ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。」(同上)
最も純粋な尊厳
皮膚感覚とシステムは、相入れないところがあります。個人と社会、尊厳とシステムと言ってもいいかもしれません。芸術家と管理職といってもいいです。
前のエッセイにも書きましたが、話すことがまったくできない、自分で体をほとんど動かすことができない、身体障害者の青年を施術した時、その青年のほほ笑みに、胸を撃たれました。崇高さに射抜かれた感じでした。医師からは、意志疎通はできないと言われている青年でした。
その青年に、私は、心を撃たれたのです。この青年は、何かを持っていると。
それが確信になったのは、『沈黙を越えて』(柴田保之著)を読んで、知的障害者たちが、内に秘めた言葉を紡ぎはじめたのを知ったからでした。パソコンにスイッチワープロなどをつなぐ器具、意思伝達装置が開発されて可能になったのでした。
彼らは、村上春樹がいう 「かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵」 です。そして施設とそこで働く人たちに、いい意味でのシステムに護られていますが、無能に生きている訳ではありません。一見植物人間のような彼らが、パソコンに紡ぎだす言葉は、とてつもない深い心で、日々を生きているのです。まさに魂の尊厳を守るために、ただひたすら、けなげに生きているのです。
最も純粋な尊厳を持っている人たちは、身体障害たちである、と。
私は、そう思うのです。医師から意思疎通はできない、とレッテルを張られた、あの鑑真のような微笑をたたえた青年の心に、純粋な尊厳を秘めている気がしてならないのです。それは、純粋なレンマ的知性なのでありましょう。
2020年7月9日 望月 勇