コロナ禍の生活のなかで考えたこと

コロナ禍の生活のなかで考えたこと 5


言語の獲得
 いつ頃から人類は、言葉を話すようになったのかは分かりませんが、最初は呼吸を制御できることを知り、その反復のリズムがやがて話し言葉になったと思われます。
 まだ文字のない古代では、模様が文字の役を担っていたと思われます。布の柄や、刺青や、土器の模様などは、文字ではありませんが、それらは反復のリズムであり、模様が雄弁に語りはじめ、見る者を圧倒し、文字以上の力を感じます。
 縄文土器や土偶などの模様は、眺めているだけで様々な想像をかき立てられ、心にイメージが湧き、中には感動のあまり泣き出す人もいるくらいです。それらの模様は、文字以上の命を感じます。ですから、文字の起源は、布の柄や刺青ではないかという学者もいます。

 人類は、眼を獲得した後、言語を獲得します。ある学者によれば、それは六万年前だという説もあります。また学者たちによっては、突然変異によって言語本能が生まれ、言語のスイッチが入って、人類という種が発生したという説もあります。
 そして、人間は、言語によって、死を発明したというのです。
 人類は、見ることで、やがて遠くを見渡します。水平線の彼方、地平線の彼方、夜空の星々の彼方に何があるのか、と考えたのではないかと想像されます。その俯瞰する図式が、無限に延長されて、永遠が生まれたのではないでしょうか。そして、死が生まれ、人間は生きるために死ぬという言語空間が生まれたと思います。そして、この世をあの世に変えたのです。

 そこで思い出したのは、初めてバレーと能を舞台で観た時のことです。動きがまったく正反対にもかかわらず、この二つのパーフォーマンスは、あの世を見ているという感じで共通していたことです。
 47年前、私は、初めてロンドンにやって来て、ボリショイバレーの 「白鳥の湖」 を見ました。チケットはちょっと高かったけれども、二階の中央の一番前の席で観ました。白い白鳥に扮したバレリーナたちが乱舞する様は、冥界、つまりあの世の舞踊的表現でした。この動きは、遊牧民の所作の粋であると思いました。しばらくの間、私の脳内空間のなかで、白鳥が、不思議な冥界の残像となって動いていました。
 一方、農耕民の所作の粋である能は、ドイツのミュンヘンのヨーガ教室に行った折、ミュンヘンで初めて観ました。劇場を能舞台に仕立ててあり、観客はドイツ人で満員でした。ドイツ人に能が分かるのかなと思いましたが、ドイツ人が、私に本当は舞台の下に瓶を埋けて、役者の音響効果を高めるとか、私の知らないことをこまごまと説明してくれるのです。そして、能を観ました。それは、「白鳥の湖」 と同様に冥界の世界そのものでした。人間の表現行為は、冥界の世界を共有しているので、ドイツ人にも理解できるのだと納得しました。

 動物は、死を認識しませんが、人間は死を認識します。その認識を可能にしたのが、言語であるというのです。そして、言語を通して関わっていくその在り方を、理性的存在といいます。
 言語に関してはいろいろな考えがあります。人間は突然変異によって言語を獲得したが、その言語なるものの仕組みの中に、初めから聖なるのもが作動する契機が潜んでいたという説。対象と入れ替わる能力、それを可能にする俯瞰する眼、すなわち言語能力こそ、人間を聖なるものへと導いたという説。
 また、心理学者のジュリアン・ジェインズは、人間の意識は3000年前にはなかったといいます。古代では、右脳が神の声として命令を下して、左脳がそれに従っていたが、文字が発明されて神の声は沈黙し、認識、判断、行動は意識(言語)に委ねられたと主張します。

 動物には、言語はありません。人間だけに言語があります。その為に、動物には死の恐怖も、将来の心配もありません。人間だけが言語を獲得したために、死や不安や将来のことを心配して苦悩するのです。私は、庭の小鳥たちを見て、彼等はいつも宇宙と一体になって生きているのに、人間は、言葉を持ってしまったばっかりに苦悩していきているのだとつくづく思います。


言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
(略)

(田村隆一詩集 『言葉のない世界』 「帰途」より)



 この詩人田村隆一の有名な詩も、よく分かる気がします。一方、言葉を獲得した為に人間は、文化や科学が進歩し、インターネットができ、宇宙へ進出するまでになりました。
 作家中島敦の作品に、『文字禍』 という短編小説があります。古代のアッシリア帝
国で、王様から文字の精霊についての研究を命じられた老博士が、文字に意味を持たせるものについて研究します。
 すると、文字の精霊は人を操り、禍をもたらしていることが分かり、武の帝国アッシリアは、見えざる文字の精霊のために、まったく蝕まれてしまった、と王様へ報告しました。文字を崇拝していた王様は怒り、老博士に謹慎処分を下しました。
 老博士は、これは文字の霊の復讐であると恐ろしさを痛感しましたが、その復讐はそれに留まらず、その数日後に大地震が起きて、書庫にいた老博士は粘土版でできたクサビ形文字の書物で圧死してしまうというストーリーです。
 中島敦は、この小説の中で、人間が文字の意味にとらわれ過ぎてしまうのではないか。物事の本質ではなく、文字を通した概念に支配されてしまうのではないかと危惧しているようです。
 文字の概念に支配されるとは、どういうことでしょうか。例えば 「肩こり」 という文字があります。肩こりは、明治以前にはなかったというのです。作家の夏目漱石が、『門』 という小説に、 「肩こり」 という言葉を作り、それが新聞に連載されて広く人口に膾炙されたからだというのです。今や日本の七割が肩こりだそうです。私の気功の施術に、英国人で肩こりに悩んで来る人はありません。英国には、肩こりはないのです。
 詩人は、文字に対して、とりわけ敏感です。


言葉で先取りすることのできぬものが
海から私の心へ忍び入る
(略)
海という
この一語にさえいつわりは在る・・・・
さえぎるな 言葉!
私と海の間を

(谷川俊太朗 詩集 『旅』 より)



 「詩とは 『私と海の間』 にあるものなのだ。言葉はむしろその詩を妨げるノイズにほかならない。真の詩は沈黙の中にこそある』 という谷川詩学の根幹は、中島敦の文字は物事の本質ではないという見方と共通したものを感じます。

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