コロナ禍の生活のなかで考えたこと

コロナ禍の生活のなかで考えたこと 6


ヨーガの本質
 さて、言葉について長々と述べてきましたが、実はヨーガでは、この言葉が重要なキーポイントになっているのです。
 前回のエッセイにも書いたように、私は、幼少時から 「自分とは何か」 を考え、探し求めていました。そして、30代初めに、「ヨーガ・スートラ」(ヨーガ根本経典)に出会いました。ここに 「自分とは何か」 を知る手がかりがあると喜びました。これで 「自分とは何か」 の問いから解き放たれたと思いました。
 しかし、教典を読み、ヨーガを実践していくと、「自分とは何か」 の入り口に、ようやくたどり着いただけということが分かってきました。それでも、その入り口にたどり着いただけでも、私は幸運であると思いました。

 「これよりヨーガの解説をしよう。」(一・一) で教典は始まります。
 「ヨーガは心のはたらきを止滅することである。」(一・二) と続きます。
 ヨーガは、心のはたらきを抑止して、消滅させる心理操作が、ヨーガであるというのです。そして、心を止滅させたらどうなるのか?
 「心のはたらきが止滅された時には、純粋観照者たる真我は自己本来の態にとどまることになる。」(一・三)
 そのとき、真我(プルシャ)は、独立自存な絶対者で、時間、空間の制約を受けず、常に平和と光明に満ちた存在に留まる、というのです。
 「その他の場合にあっては、真我は、心のいろいろなはたらきに同化した姿をとっている。」(一・四)
 その他の場合とは、心が止滅の状態でない時、真我は自己本来の姿を見失って、真我本来の性質は変わらないけれど、その時の心の働きに同化した姿をとっている、というのです。

 この三つの経文が、どうしたら宇宙と人間が一体になれるのか、そのカギを握っているような気がします。
 ヨーガの考えでは、究極の実在として真我(プルシャ・宇宙意識)と自然・自性(プラクリティ)の二元を立てます。真我が 「見るもの」 で、自然が 「見られるもの」 です。
 そして、私たち個人意識が、真我と一体になった時に、本当の自分を知り、絶対の平安を得ることができるといいます。ヨーガの目的は、この真我の独存=解脱にあるというのです。
 ところが、真我は独立自存の絶対者であるのに、心のいろいろな動きに同化して、自己本来の姿を見失って、自分がいろいろな苦を受けているような錯覚を起こしているというのです。この錯覚をどう取り除くのかが、ヨーガの課題というのです。

 教典の著者パタンジャリは、真我と一体になるには、心の働きを止めることであるといいます。
 心(チッタ)の働き(ウ゛リティ)を、チッタ・ウ゛リティといいます。その心の働きを、教典では、①正しい知識 ②誤った知識 ③観念的知識 ④睡眠 ⑤記憶 といいます。これらの心の働きには、実はどれにも言語が入っています。
 私たちの心の内部に、言語が存在するのです。会話の言語は、口から物理的にでてきますが、話し言葉として外在化することのない言葉、例えれば素敵なお洋服ですね、と口から出た言葉とは反対に、心の中ではちっとも似合っていないと心に思う言葉や、だまっていろいろ思案する思考には、すべて言語が関係しています。これらの外在化することのない言葉が、恐らく全体の90パーセント以上を占めていると思われます。

 心の中を見詰めると、思考は湧き出てくる言語によってできています。よく人間は、道具として言語を獲得したといわれますが、道具なら使ったら道具を道具箱へしまっておくことができます。言語は、使い終わったら言語をしまっておくことはできません。人間にとって言語は、単なる道具ではないのです。言語なしでは生活ができません。言語は道具以上の何かです。言語は、流動的で、心の中で自然に湧き出てくるのです。自分ではコントロールできないのです。それは、自然発生的なのです。

 古代のインド人は、頭脳の中の言葉の発生を、人間がストップできないのは、言語の源泉は、人間を超えたところにある、超越した存在であると考えました。
 瞑想は、視点を変えて表現すれば、心に湧き出る無数の言葉のさざ波を一つ一つ消すのは不可能なので、一点に集中して一つの大きな言葉の大波を作り、その一つの大波を消す方法だともいえます。古代インドでは、「心の静止が神の自覚」 と言われてきたそうです。
 神(宇宙意識)とはなんでしょうか? 神様というと普通は、人間の心の働きによって作られた人格神です。ヨーガは、徹底的に心を見詰めて、心の中に言葉もイメージもまったく出てこないように、完璧に消滅させる心理操作です。それは、人間の心の働きによって作られた神の概念を超越した神なのです。神(宇宙意識)とは、ヨーガでは言語なき意識なのです。

 このように理解しても、心の働きを消滅させた世界とは、一体どんな状態なのか想像すらできません。パタンジャリは、そのことについて一切述べていません。言葉のない世界を、言葉で表現することはできないからです。

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