竹富島で日本人のルーツを考える

AIの時代に幸せに生きるヒント 6


空しさを乗り越えて

 私たちは、誰でもだんだん年老いていきます。元気なうちはまだ自分は若いと思っています。赤ちゃんの時に気功施術してあげた子が、また診て欲しとやって来ました。その子は、もうすっかり立派な社会人になって結婚していました。あれからもう20数年も経ったのかとびっくりします。ところが自分も同じだけ年をとったというのに、自分が年を取った自覚がないのです。
 私が自分の年齢を自覚するときは、航空券の申請や書類などに年齢をインプットする時くらいです。人間は、自分の体力や気力がはっきり落ちてきたことを知るまで、自分の年齢を自覚しないようです。
 私たちはまだ若いと思っていても、年老いていくことに誰でも不安を感じると思います。一緒に人生を歩んできた人たちが一人、また一人と姿を消していきます。祖父母や親も亡くなり、いずれ兄弟とも親しい友だちとも別れなければならない時がきます。長生きすると自分だけ取り残されたような思いになります。
 この世には、永遠に自分の側に居てくれるものは何もありません。すべては移ろいやすいかげろうのように、いつの間にか消え去ってゆくと思うと、空しい思いが込み上げてきます。年配者で、このように考えて鬱になっている人を何人も見受けます。
 死は誰にでも訪れます。それは人生の終着点であり、それに続く未来はありません。そう考えると多くの人は、死の直前になって、「自分はいったい何のために生きてきたのだろう」と懐疑的になり恐れるのです。そうして死を受け入れることができず、眠れない夜を過ごすようになるのです。

 このような精神状態になっても、フランクルは過ぎ去った過去を空しいと思うのではなく、今までとは違った光の中で見ることによって空しさを乗り越えられると言います。
 刈り取られた畑には何もない、それだけ見れば寂しいけれども、一方収穫された納屋をみれば、その中には人生の収穫物で一杯になっているというのです。収穫物とは、私たちが行動した行い、力を尽くした仕事、心から大切にした愛情、そして勇気と尊厳をもって乗り越えてきた苦悩なのだと言います。

 私の場合で言えば、リラックスして心の金庫を開きます。すると過去の人生の収穫物から光が射してきます。その光の中からヨーガ研修旅行へ行った思い出が現れてきます。それはチベット、ブータン、ネパール、インドであったり、またトルコ、ドイツのミュンヘン、スイス、英国のバースや湖水地方であったり、また日本の沖縄、鹿児島、北海道などなどです。その過去の光の中で、すでに亡くなられた人たちを含めて、一緒にヨーガの道を歩んで来た仲間の姿が生き生きと、私の心の金庫にいっぱい詰まっています。
 このような思い出は、誰も修正したり、壊したりすることのできない事実です。たとえ私が死んでも、一緒に歩んで来た仲間が亡くなっても、私の心の金庫の中で大切に守られ、宇宙に永遠に保管されるのです。決して消滅することはないのです。これは奇しくも量子論でも同じようなことを示唆しています。

 量子論では、死んでも意識は宇宙に残るといいます。波動情報として、ホログラム原理として記録され、宇宙のゼロ・ポイント・フィールドに永遠に残るといいます。
 そして宇宙に残った波動は、どのように残るかというと、記憶となって更に進化していくというのです。138億光年かけて進化してきた宇宙意識を目指して、自他一体の意識になり、ワンネスの世界・愛一元の世界へ成長して、やがて宇宙と一体になるのです。
 そしてフランクルのいう「究極の意味」とは、どんな状況にあっても、私たちに寄り添ってくれる力であり、私たちの生きる意味を根底から支えている超越的な力だといいます。これは、ヨーガの真我(真の自己・アートマン)であると私は思います。
 本当の自分(真我)は、肉体や心を見ている自分、知っている自分です。日常生活で日々、心と身体が行為するのを見ています。いつも私たちに寄り添っている宇宙意識であり愛なのです。


2025年12月20日      望月 勇

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