竹富島で日本人のルーツを考える

竹富島で日本人のルーツを考える 3


縄文と岡本太郎

 竹富島は、日本の最南端にある町として、岡本太郎や司馬遼太郎など多くの著名人たちから絶賛されています。
 特に画家の岡本太郎は、パリ大学のソルボンヌで民族学を学び、日本人の縄文に深い関心を持っていました。
 彼は、29歳で日本に戻り、京都と奈良を訪れます。日本の源流に出会えると期待していたのですが、日本の伝統とは大陸文化そのものであることに失望しました。
 その頃に、縄文土器に出会います。縄文人の荒々しい造形感覚と出会って、そのすさまじい生命力に圧倒されたのです。それに比べると日本の美は、平面的でひ弱に感じたのでしょう。彼は、縄文土器を見て、身体の中の血がわきたちました。これは彼にとって、日本発見であると同時に、自己の中の縄文の精神を発見したのです。

 弥生時代になると、農耕社会へ移行して、取り換え可能な労働力に変わって、原生日本は忽然と姿を消してしまいます。縄文との出会いから、彼は東北を旅して原生日本が今も受け継がれている様子を見て回りました。
 そうして最後に訪れた石垣島や竹富島で、縄文に出会ったのでした。沖縄らしい風情が残る竹富島で、彼は 「日本人の中には今も縄文の精神が宿っている」 と確信して日本人のルーツを発見し、竹富島に魅了されたのです。

 岡本太郎は、大阪万博で太陽の塔を制作しました。表向きには、「技術の進歩が社会を豊かにし、人を幸せにする」 というメッセージですが、太陽の塔の中に入ると、「生命の樹」 という巨大なオブジェが表現されていて、そこには 「縄文の心を思い出せ」 という裏のメッセージがあったのです。しかしそのメッセージは、多くの観客たちには伝わっていないように思われるのです。


古代DNA解析

 私は今回、竹富島に来て、岡本太郎を惹きつけてやまない縄文人とはなんだろうかと考えていました。
 もう一つは、私自身のことですが、若い頃、危険をかえりみず、何度か怖い目にも遭いながら、旅を続けていました。その都度、一体自分は何をしているのだろうか? 
 サハラ砂漠を縦断してアフリカを放浪したり、キリマンジャロの天辺まで登ったりしたのは、なぜだろうか? 何がそうさせたのか? 
 さらにケニアからエチオピアへ、スーダンからエジプトのカイロへ、そうしてシナイ半島を一人で旅したのは、なぜだろうか?
 私は、自分自身に幾度となく問いかけました。しかし、問いかけは空しく消えていくばかりでした。

 私は、今まで縄文人は、北の大陸の方からやってきて、南から来た人々と一緒になった人々だと漠然と思っていました。
 ところが最近、「古代DNA解析」 という驚きの技術が開発されて、今までの定説がくつがえされたのです。この解析方法は、2022年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた革新的な技術で、数万年前の骨から、大量の情報を読み出す革新的な技術なのです。



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