竹富島で日本人のルーツを考える 4
長い間、土に埋まっていた骨からは、今まではDNAを読むことができませんでしたが、この技術が確立されてからは、数千年前の骨であってもDNAを読み取ることができるようになったといいます。そのため、ここ10年で様々な事実が、次々に明らかになってきました。
その一つが、2018年に東大の太田博樹教授らのチームが発表した研究結果でした。ラオスにあるファファエン遺跡で見つかった8000年前の人骨のDNA解析に成功したのです。
この人骨は 「ホアビニアン」 と呼ばれている狩猟採集民の骨で、ラオスやタイ周辺には、2万数千年前から4000年にかけて、「ホアビニアン」 が広く暮らしていたというのです。
興味があるのは、ここからです。太田教授らは、ホアビニアンのDNAと、世界各地の古代人や現代人などの計80集団以上のDNAを比較し、その近縁性を調べたのです。
その結果、ホアビニアンと縄文人は、DNAの近縁性の指標で4位にランクインしたのです。縄文人は、今からおよそ1万6000年前から3000年前に住んでいて、縄文土器や土偶などを造った日本列島の最初の日本人ですが、どこからやってきたのか謎の多い人々でした。
研究チームが調べたところ、現代日本人や東アジアの人々のDNAの近縁性の結果は意外なものでした。モンゴル、中国、ベトナム、中国少数民族の人々のDNAは一直線に並んで似ていますが、現代日本人(東京)と縄文人のDNAは、それらの人々から遠くかけ離れています。そしてホアビニアンと縄文人は、ダイレクトにつながっていることが分かりました。
これらのDNA解析の結果、現代日本人は、縄文人のDNAを持っていて、現代の東アジア人とは異なった遺伝的特徴を持っていることも分かったのです。
およそ20~30万年前にアフリカで誕生したホモサピエンスは、6~7万年前にアフリカを出て、ヨーロッパ方面へ向かったグループと、ユーラシア大陸へ向かったグループに分かれました。さらにそこから北へ向かったグループと、南へ向かったグループに分かれました。
そうして4~5万年前に東南アジアにたどり着いたグループは、ホアビニアンになったグループと、そこからさらに沿岸沿いを北上したグループが、今から3万年以上前に日本列島にたどり着いたと考えられます。
東南アジアでは、その後北から農耕民族が流入して、ホアビニアンのDNAは失われましたが、外部との接触を断ち続けてきたタイの少数民族マニ族と、海に囲まれた日本列島の縄文人は、奇跡的にホアビニアンのDNAを色濃く受け継いでいくことができたのでした。
東南アジアのホアビニアンの中に、何か北上せざるを得ない切羽詰まった理由があったにせよ、危険をかえりみないフロンティア精神旺盛な人々のグループが、北を目指したと想像されます。
タイやカンボジア、ベトナム辺りから中国の沿岸部を北へ進み、船で海を渡り、石垣島や竹富島までやってきました。
やがて沖縄本島にまで進み、とうとう日本列島にまでたどり着いたのです。遺跡の人骨のDNAから計算すると、最初の日本人は1000人ほどの集団だったと考えられます。
北上を続けたホアビニアンは、本当に石垣島や竹富島を経て、さらに沖縄本島へ向かったのでしょうか? たどり着いた証拠があります。石垣島の 「白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞窟遺跡」 で、国内最古の約2万7千年前の旧石器時代の全身人骨が発見されているからです。また沖縄本島南部でも、約2万2千年前の 「港川人」 の人骨が見つかっています。
このような最初の1000人ほどの日本人は、荒々しい海を渡り、狩猟採集の生活を続けて、命がけで日本列島にたどり着いたのです。その縄文人が身につけた荒々しい造形感覚と、すさまじい生命力は、縄文土器に現れているのです。それを見た岡本太郎が、そのすさまじい生命力に圧倒されたのは当然のことだと思います。