コロナ禍で、自分と向き会う日々

コロナ禍で、自分と向き会う日々 3

蝉とブラーマリー

 話がそれましたので、夏のヨーガ合宿に戻ります。その生徒さんは、「蝉も一緒に ブラーマリー」 と詠みました。ブーラマリーとは、ハミングしながら行うヨーガの呼吸法の一種です。頭の中に昆虫がいて、その虫の声が頭蓋骨いっぱいに満ち、やがて部屋いっぱいになり、さらに宇宙へ広がっていくことをイメージして行うのです。音に集中すると、どんな嫌なことでも忘れることができ、あとでスッキリします。

 私は、このブラーマリーを大勢で行うと、各自のハミングする時間の長短によって、音が唸るように、倍音になって耳に響いて聞こえます。それが、あたかもチベットの僧院にいるような錯覚に陥ることがありました。心地よい錯覚でした。

 この日は、四方八方から蝉の声が鳴り響いていました。そして、ブラーマリーを始める直前、どういうわけか蝉はぴたっと鳴きやみました。
 そして、ブラーマリーのハミングが始まると、それに和するように、蝉の合唱が始まったのです。そのうちに呼吸法が佳境に入り、建物の内部がハミングで唸り始めると、それに負けじと蝉の鳴き声の響きが、大合唱となってオクターブ上がったのでした。
 それはまさに、ハミングを制圧する勢いでした。蝉と競い合っているような、コラボしているような不思議な感覚でした。
 そして、ブラーマリーが終わると、蝉の合唱もピタッと止まり、一匹だけジーッと音程を外して鳴きやみました。その後、静寂に包まれました。

 これらの生き生きとして蘇ってきた記憶は、私が心の金庫にしまってあった人生の大切な収穫物を、金庫から取り出して見たところです。

 私は、かつてインドやブータンやチベットなどヨーガ・瞑想の旅へ出かけた折に、参加者の皆さんへ、こんなことを話しかけてきました。
 「旅の最後の日、今日で楽しかった旅は終わりますが、がっかりすることはありません。この体験は、宇宙のアカシックレコードに、皆さんの心の金庫に、人生の大切な収穫物として大切に保管されます。一旦金庫に保管されたら、誰もそれを壊すことはできません。そして、時間のある時に、密かにそれを取り出して、再度味わうことができるのです。」

 解剖学者三木成夫は、受胎の一週間の間に起こる出来事は、地球の三億年の歳月が瞬時に凝縮され、束の間のおもかげとして過ぎ去ってゆく。それは、人間の深い心情に根差す 「生命記憶」 であり、人類のはるか彼方のおもかげに他ならない、と言っています。そして、この生命記憶も、普通の記憶のように、「回想する」 ことができると言っています。
 この 「生命記憶の回想」 は、『何といったらいいのか……』 という文字どおり 『ことばにも筆にもた堪えぬ』 意識段階としてしかとらえることのできないものであろう。」 と述べています。

 このように考えると、私たちは死んだ後も、心の金庫に保管した大切な思いを、転生した折には、生命記憶の回想として思い出す日がやって来るかもしれません。私が、インドのブッダガヤでわけもなく号泣したり、ネパールやブータンやチベットで、ほのかなおもかげに魂の平安を感じたように、袖すり合うも多生の縁で、またどこかで皆さんと繋がっていくように思えてなりません。

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