48年ぶりのお花見 2
京都のお花見
京都は、普段は観光客で大混雑しているようですが、コロナ禍のため外国人の姿もなく、道路も空いていました。京都へご招待してくれたTさんご夫妻の自家用車で、京都をすいすい3日間、フルに回ることになりました。Tさんご家族とは、ロンドンから始まって、30年近いお付き合いで、ご家族共に私のよきヨーガの生徒さんです。48年ぶりのお花見に、京都へご招待してくださったことに、ご夫妻に心より深く感謝の気持ちでいっぱいでした。
最初に、渡月橋の近くにある天龍寺を訪れました。庭園には、急に暖かくなった為、3月中旬にしては珍しく、桜が咲き始めていました。枝垂桜はほぼ満開でした。ピンク色のつつじ、しゃくなげ、赤く上品な吉野つつじ、枝に白く雪が積もったような雪柳、真っ赤な木瓜(ぼけ)、白と紅のまだらな木瓜、真っ白な白妙桜、黄色い連翹(レンギョウ)、白い豆粒のような鈴を一杯つけた馬酔木(あせび)、また最近目にしたことがなかった土筆(つくし)など、草花を眺めているだけで癒されました。
そして、次々と訪れるお寺や神社の桜は、ほとんど満開に近く、加茂川沿いの桜並木は、ピンクの霞がたなびいているようでした。また、お花見最後の日、空海により創建された東寺の五重塔は、ピンクの桜に映えて一幅の絵のようでした。そのような景色を眺めていると、いにしえの歌が思い出されてきました。
あおによし 奈良の都は 咲く花の におうがごとく 今さかりなり
世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
願わくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
(小野老・万葉集)
世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
(在原業平・古今和歌集)
願わくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
(西行法師)
そうして京都のお花見をしていると、これらの歌には、ギリシャ語の時間カイロス(永遠の時)が刻まれているようでした。千年経った時を越えても、今ここに、「永遠の今」が、私と共に存在しているという気持ちを持つと、不思議な感動さえ覚えました。このカイロスには、読み手の心に垂直に伸びていく、深い時を感じさせます。その思いを俳句にしました。
桜咲く 千年の今 ここに在り
一方、京都を初めて訪れた60年ほど前の中学の修学旅行は、クロノス(時系列の時間)で、ただ水平に、過ぎ去っていった時を感じるのでした。
お寺を巡って特に印象に残った一つに、高台寺がありました。山の中腹にある高台寺から、桜の咲いた京都の町が一望できる風景よりも、庭の白砂に龍がうねって半分姿を現している奇抜な庭よりも、秀吉の妻ねねが眠っているという霊屋(おたまや)を訪れた時のことでした。
観光客が少ない霊屋で、手持無沙汰に待機していたお寺のガイドのおばさんが、数人の人影を認めると、唐突に説明を始めました。
「皆さま、左に見える北政所像は、秀吉の妻ねねです。農民の出で多くの人に愛され、75歳まで長生きしました。この像の下には、ねねが土葬されています。皆さま、どうか成仏できますように、お祈りください。」 と。
その時、一瞬、私は、北政所像が、口をきいたような錯覚に陥ったのです。
「私は、あなたのように 生きてきました。
そして、あなたは、いずれ 今の私のように なるのです。
私のために、祈ってください。」
そして、あなたは、いずれ 今の私のように なるのです。
私のために、祈ってください。」
このアイルランドの墓石の言葉を、私はまた思い出したことに気づきました。
今回、京都へお招きくださった奥様が、速水流のお茶の先生でした。速水流は裏千家8代目から独立した公家流で、北野天満宮の隣に家元があり、そこを訪問した折、桜の咲きほこった北野天満宮を歩きながら、次のようなことを話されました。
京都の町には、戦が何回もあり、多くの人々が亡くなっています。この近くに 「千本通」 という通りがあり、千人以上の遺体に 「塔婆」 を千本立てて供養したそうです。また、古戦場のあったところは、深夜タクシーの運転手が 「通せん坊」 にあって通れないこともあるそうです。成仏できていない、 無念の死を遂げた人達の霊がそうさせるのでしょうか、という内容でした。