コロナ禍の自粛生活で、想念を検証する

コロナ禍の自粛生活で、想念を検証する 1


 今、南アフリカの新型コロナウイルス・オミクロン株の出現によって、瞬く間に全世界に蔓延して、各国の出入国が厳しくなりました。
 私の住むロンドンも、感染者が急増しています。英国政府は、地下鉄やバスではマスクを着用するように義務づけました。バスに乗ると、英語、スペイン語、フランス語、東欧の言葉、アラビア語などが聞こえてきて、東京と雰囲気が違います。そして、結構多くの乗客がマスクをしていません。マスクをしないと罰金があるのに、皆さん平気な顔で乗車しています。
 私の通りや、近くの幼稚園でも感染したという話が伝わってきました。ジョンソン首相が、盛んにブースター(3回目のワクチン接種)をするように呼び掛けています。
このような状況の中で、私は、家で自粛している時間を使って、今までの自分の想念と経験の関係を振り返ってみることにしました。


思ったことが現実化する世界

 量子論の世界では、意識したことが、直ちに分子や原子に影響を与えて、思ったことが現実化してしまうというのです。

 この考え方を受け入れて考えると、私たちが直面する現実は、自分と無関係に存在するものではないことになります。だからといって現実に翻弄されているわけではないし、一方的にその現実に押し付けられているわけでもありません。私たちの経験は、意識的な考えと感情、そして無意識の考えと感情の織り成す産物であって、それらが一緒になって現実を作り上げているとも言えます。

 私の人生を振り返ると、まず20代初めにサラリーマンになりましたが、いつも心の片隅に、「私はサラリーマンで終わることはない」 と思い続けていたことを思い出します。結局、25歳の時にサラリーマン生活をやめて、日本をでて放浪の旅にでました。
 それから、イスラエルのキブツやシナイ半島を旅することになりました。これもローマのサン・ピエトロ・イン・ビンコリ教会で、ミケランジェロが制作したモーセ像を見て、シナイ半島の沙漠へ行って見たいという強い想念が生まれて、現実化しました。またインドへ旅に出かけたのも、初めに心の中にインドを旅するイメージが生まれて、それが現実化したのでした。
 ロンドンに住むようになり、もう一度サラリーマンになりましたが、その時も会社に勤めないで、家で仕事ができないかと虫の良いことばかりを考えていました。その結果、本当に会社勤めではない仕事を家ですることができるようになりました。
 このように振り返って見ると、最初に心の中に想念が生まれて、それが現実化していることがわかります。

 私たちの想念と経験と物理的な出来事とは、あまりにも密接に結びついているので、物質的な現象と、それらを生じさせている想念との区別がつかなくなっているのです。
 私は、幸いなことにポジティブな想念を考えることができました。25歳の時に、3年間務めたサラリーマンを止める時は、同僚や友人たちが仕事を失くしたらみじめになるだけだから止めないようにと助言してくれました。もし私に、仕事を止めたらみじめになるのではないかというネガティブな想念があったら、そうなっていたかもしれません。
 私たちは、心の奥底にネガティブな想念があったとしても、いつも満たされた生活をしていると、そのネガティブな想念に気がつきません。その想念が思いもよらない現実を実現してしまうのですが、そのとき、私たちは、なぜこんなことになってしまったのだろう、と困惑するばかりです。

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