コロナ禍の自粛生活で、想念を検証する

コロナ禍の自粛生活で、想念を検証する 7


細胞には意識がある

 量子論では、分子や原子には情報を付随する特質があるといいますから、今までのすべての情報は、前世も含めて記録されていると考えてもおかしくありません。私たちはいわれなしに誕生に至ったのではありません。内なる自己がそれらを選んだのです。私たちの個性は魂の中に常に潜在していて、自分の一部である 「歴史」 は、自分の精神の内部にある無意識な記憶の中に書かれるだけでなく、自分の遺伝子と染色体の中で正確に解読され、全身をかけめぐる血となって成就されます。
 そのように考えると、「死んだらすべておしまい。輪廻転生などない」 という説の方が怪しくなってきます。

 私たちは、AI(人工知能)が進歩してくると、すべては頭の中で考えられていると思ってしまいます。たとえば肉体の内臓や腕や足の中で思考しているなどと誰が想像するでしょうか。身体は物質的なものに見えるし、思考は物質的でないように見えます。
 身体は、単に使われるための道具ではありません。ヨーガでは、心と身体は一体であると説いてきました。古代から心は内臓にあると信じられてきました。現代でも、臓器移植すると提供者の性格や好みになってしまうということが分かってきました。
 米国である心臓移植をした少女が、見知らぬ男性の顔を描き始め、その絵が手がかりになって、容疑者の中から真犯人が捕まったことがありました。実はその犯人は、心臓提供者の青年を銃で撃った犯人でした。これも、殺された青年の心臓の細胞が、事件をすべて記録していたと考えれば納得できます。
 身体とは、実は肉体をまとったスピリットそのものなのです。肉体は、魂と同じように霊的であり、身体は生きた魂なのです。ヨーガでは、肉体は精神以下でも以上でもないし、精神は肉体以上でも以下でもないといいますが、その通りなのです。

 生物学者は、細胞に心(意識)があるとは認めていません。しかし、どんな身体細胞にもそれぞれに意識があり、他の細胞や全身との関係における記憶のすべてを持っています。言ってみれば、それぞれが小型の頭脳なのです。
 このようにして細胞には身体の歴史(過去、現在、未来を含む)があり、固有のイメージを持っていて活動しています。このイメージは、絶えず変化していて、たった一つの細胞が変化しても、たとえば癌化した細胞を回りの細胞が取り囲んで外へ排除してしまうように、身体の意識は直ぐにそれに気づき、今後の影響を読み取り、予見します。この活動は高度に暗号化された情報が電磁的に刷り込まれたもので、これは身体にしか知覚できません。身体は、その細胞の持つイメージを、今の肉体的な状態と調和させるために変化するのです。

 以上のように細胞には、意識があるのですが、こんなふうにも譬えることができます。
 ある男性が五歳の時に、手に火傷を負ったとします。二十歳になり、成人して火傷の傷は癒えたとします。彼の細胞は、すでに新しい細胞に完全に入れ替わっていますが、細胞は火傷を記憶しています。細胞に内在するアイデンティティー(自己同一性)には、その当時の数知れない過去の刺激や反応の痕跡が保持されて残っているのです。
 また肉体の細胞は、部分的に絶えず死んだり生まれ変わったりしているのですが、自分自身が維持されていることを知っています。五歳と二十歳では、人体の細胞は全部入れ替わっていますので、別人といっても間違いではありませんが、私たちは幼児期の自分と、大人になった自分を、同一人物と思って疑いません。これと同じように、あなたが死んだら、あなたのアイデンティティーと記憶は、魂として保持し続けるのです。これは微小な細胞が火傷を記憶して、その細胞が死んでも、新しく生まれた細胞が火傷の記憶を保持し続けるのとまったく同じです。これを仏教では、「念々消滅。念々相続。」 といっています。私は、この言葉を、一瞬一瞬、生まれては死に、死んでは生まれ、魂は絶え間なく続いていく、というふうに解釈しています。

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