死について考える

死について考える 2


 このように昔から死について考え、苦しんだり、悲しんだり、ある人にとって死はさとりを得ることにもつながっています。さとりはさておいて、私には素朴な疑問 「命あるものは、なぜ死ぬのか?」 がよく分かりません。そこで、現代の生物学では、死をどう考えるのか調べてみましょう。

 最初に死について考える前に、生命はいつ誕生したのでしょうか。隕石と衝突を繰り返していた地球は、火の玉になっていましたが、だんだん熱も冷めて、やがて海におおわれた地球に変わっていきます。
 40億年前に、海底火山の熱水噴出孔では、科学反応が起きやすくなっていて、熱水の辺りで生物の原料となるたんぱく質やアミノ酸、RNAやリボソームなどができてきます。RNAはたんぱく質の設計図で、リボソームはたんぱく質を生み出す装置となり、自分のコピーを作る原始の生命が誕生したと考えられています。
 そして、38億年前に、膜に包まれた原始細胞(古細菌と呼ばれる微生物)ができます。
 それから35億年前に、RNAよりも安定しているDNAを持つ原核生物が現れます。原核生物は、核のないバクテリアなどです。
 そして、15億年前に、DNAを収納しておく 「核」 を持つ真菌や原虫などの 「真核生物」 が誕生します。人間のルーツは、この真核生物から進化したといわれています。


生物に死はなく、死は進化の途上できた

 やがて、10億年前になると、「真核生物」 が進化して多細胞生物が生まれるのです。その時、地球上に初めて 「オス」 「メス」 という性が現れます。
 それまでは、生物には死はありませんでした。細胞分裂を繰り返して増え続けるだけで、親子という関係もありません。
 細菌は、基本的には栄養が続く限り永遠に増え、老化はなく、老衰死もありません。飢えか食べられてしまうか、あるいは環境の変化による事故死さえなければ、永遠に生きることができる存在です。

 この原核生物から進化して多細胞生物が生まれると、オスとメスという性が現れました。この時になって初めて、生物に 「死」 という現象が現れたのです。
 ではなぜ、死という現象が現れる必要があったのでしょうか。それは、多細胞生物は環境の変化に適応したり、バクテリアやウイルスといった外敵に抵抗力のある子孫をつくる必要があったのです。そこで生物は進化して、抵抗力のあるまったく新しい遺伝子をつくるように進化しました。
 それは、オスとメスの生殖細胞をつくり、その生殖細胞によってできあがった精子と卵子が合体して、まったく新しい遺伝子の組み合わせをつくるという方法でした。
 つまり、「性」 によって、遺伝子の混ぜ合わせを行なうことで、有性生殖を行なう生物の子孫は、常に新しい遺伝子組成を持つことができるようになったのです。
 これにより、生物は環境の変化に適応したり、バクテリアやウイルスといった外敵に抵抗力のある子孫をつくることに成功したのです。
 このようにして、「性」 が現れると同時に 「死」 が現れたのです。生物学でいうと、「生」 と 「死」 は裏腹ではなくて、本当は 「性」 と 「死」 が裏腹ということになります。多様性を生み出す 「性」 という仕組みは、「死」 と表裏一体なのです。 

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