心とは何かを探し求めて 3
人生の収穫物
私は、これらの懐かしくて楽しかった貴重な思い出を、人生の収穫物と考えています。これらの大切な収穫物は、誰にも壊されることはありません。それらは、意識(魂)の中に刻み込まれて、アカシックレコードとして宇宙にbackupされているからです。
5年前に、チベットとネパールの合宿の参加者から、その想い出を、心の金庫に大切に保管されていることを知らされました。
「先生と一緒に毎朝毎晩ヨガと呼吸法をしながら、自身が何とか順応出来たことに深く感謝しました。
初日から毎回素晴らしい瞑想ができましたが、チベット最後の朝に先生のお側でさせて頂いたヨガと瞑想は格別で、先生のお話には涙が止まりませんでした。なんとも『慈悲の心』に包まれた気がしました。その後、チベットを離れてからも数日間その感覚と共に『暖かい涙』が流れました。
今も信仰心が篤い人々が住む聖なるチベットを訪れ、自分の目で見て感じる事が出来ました事はとても貴重な体験で、私の大切な宝物です。ありがとうございました。」
「先生が最後のヨガでおっしゃっていた言葉が忘れられません。
魂が喜ぶことをして、その経験を心の金庫にしまったら誰も壊すことはできないし、そこからまた取り出して見ることができるから何も悲しんだり去ることを残念に思うことはない。
それがその人の財産になって、それがたくさんあればこの人生もいい人生だったと最後に思えると。
そのお話を伺ってなぜか涙がでてきてしまい、東京でもその言葉を思い出すとなぜか電車に乗っていても涙がでてきます。
昨日と今朝瞑想をしましたが、本当にあの湖や満月の様子がありありと心にうかび涙が止まらなくなってしまいました。本当に心の金庫から取り出せました。
どうしてこんなに涙がでるのかが自分でも分からなかったのですが、涙がでてきます。」
昨日のような74年間の出来事を振り返って見ると、人生で生きるとは、さまざまな体験をするために生まれてきたのに違いないと思われてきました。
そこには、印象に残る楽しかった思い出もあります。楽しかった大切な思い出は、もう過ぎ去ってしまったと嘆くことはありません。過去になったことで、宇宙に安全に保管されたと思えばいいのです。そう思うだけで、心が軽やかになり、不思議な安心感に満たされます。
一方、楽しくなかったという思い出もあります。しかし、楽しくなくても、その中に大切な体験もあるのです。
私の例でいいますと、シナイ半島の砂漠を10日間くらい一人で歩いて旅したことがありました。朝方の寒さと、ひとり歩いた心細さと、砂漠の狼に襲われた体験は、恐怖であって、けっして楽しい思い出でとは言えませんでした。だからといって、その記憶を消したいと思ったことは、一度もありません。なぜなら、その楽しくない思い出の中に、紛れもない 「生きた」 という貴重な体験が詰まっているからです。
私にとってその体験は、ランボーが叫んだ詩 「心の燃え立つ時よ、来い!」 そのものだったのです。