なぜ量子論は、東洋思想に近づくのか 3
70代の三人目の主婦は、深い精神的な悩みを抱えていた人です。(個人的な内面を書いた文章ですが、引用を承諾して下さったことに感謝いたします)
「望月先生。 私の 筆舌に表せない何か をお話します。私はごく普通のサラリーマン家庭の、普通の両親のもとに生まれました。でも、物心つくかつかないかの幼い時、夜中に突然、私という意識が膨れあがり、世界は私の意識しか存在せず、私は、恐怖と孤独で心臓が張り裂けそうになりました。果てしなく遠い真っ暗な空間に、私の意識だけが、漂っている、言葉など何の役にもたたない世界があると直感しました。以来、その私の意識だけになる恐怖は、普通の生活の、友達と遊んでいる時などでも、瞬間的に湧いてくるようになりました。こんな恐ろしい孤独を抱えて、なぜ人は普通に、笑ったりしていられるのかと、不思議でした。親や友達に私のようなことはないかと尋ねてみても、皆ただきょとんとするだけでした。私だけ?それはショックであり不安で、本を読みあさって、自分を探していました。でも言葉の届かない世界があると直感したのに、言葉で探すのは、私には、無理でした。ただ、突然湧いてくる私の意識がふくれあがり、宇宙の果てに連れて行かれる恐怖感から解放されたいと思っていました。幸い私は、女性であり、感性で動くので、この人と一緒になったらあの恐怖感は消えるだろうと、夫と結婚しました。その通りでした。一人の人間と向き合い家族を作り普通に生きていくことで、私は皆と同じと思いたかったのでしょう。でも宇宙の中で、塵のような儚い存在でも、愛を注いで信頼しあえる家族が作れたことは、生まれて良かったことです。夫の知性、客観性、父性が私の母性を刺激して、普通に生きられたのだと思います。(略)」
彼女のご主人は、植物生態学者で、長年、自然保護と環境問題に取り組んでいましたが、このメールの前に、ご主人は病で亡くなりました。コロナ禍で、彼女は心細く、怖かったのだと思います。
「私が先生のヨガを始めたのも、あの恐怖の正体が知りたいためでした。 先生のエッセイに触発され、私も自分の源に思いを馳せました。それがすべてではないけれど、意識という言葉は、私には深く広がっていく言葉です。」
彼女は、最初は読者として、それから私のDVDを見ながらヨーガを始めて、自分と向き合っていったようです。それから、公式サイトに掲載されたエッセイも読んで、自分と向き合っていく姿がメールにつづられていました。
「エッセイ読ませていただきました。私は、今年に入って特に、体の老化を感じ、少しずつ死に向かっているのだなあと、鬱々とした気持ちで過ごしていました。でも先日の夜中、ふと私は、74年間もの間、一度も自分の体に感謝したことがないことに気がつきました。若い時に、少し病気にかかったこともあり、私にとって体は、私の内にありながら、私を苦しめようと、いつも虎視眈々に私を狙っている恐ろしい存在として、認識していました。でも、よく考えてみれば、私がこの世に唯一の存在として、生きていられるのは、厖大な数の細胞が入れ替わり立ち替わり私のために、働いているからなのだと、当たり前のことが、改めて心からの実感として感じることができました。そして、細胞たちに、恨んでばかりで本当にごめんなさい。私のために、こんなに長い間働いてくれて本当にありがとうと何度もお礼を言いました。すると体から力が抜けて、体中がゆったりと落ち着いていくのが感じられました。心と体が通じていることが、初めて知識ではなく、わかった瞬間でした。その後、ありがとう細胞さんと、気がついた時に声をかけると、体がゆったりとするので、自律神経にもよいようです。そんな体験があった次の日、先生のエッセイを読みました。驚きました。すべての言葉が、今の私に必要なことだったからです。本当のことを言わせいただくと、私の力不足のせいか、今までのエッセイは難しく、先生の世界に入れる人々しか理解できないのではないかと思っていました。でも今回は、人間としての先生が感じられて、素晴らしい先達者に巡り会えたことに感謝するばかりです。ありがとうございます。」
最近になって、彼女は体の不調が出てきて、遠隔治療を依頼してきました。
「望月先生。遠隔治療ありがとうございました。お陰様で楽になりました。容赦なく老化が追いかけてくる毎日ですが、それでも、こんなに長く生きて、今、この地球の上にいられることは、なんてラッキーなことと痛感しています。なぜなら、幼いころから、自分が存在していることの意味がわからず、不安でしたが、夫が亡くなったあと、コロナ禍ということもあり、否応なく自分と向き合い、望月先生のお書きになったものをはじめとし、量子論もそうですが、本当に多くの方々の努力と研究により、人間であることの深い意味がなんであるのか知ることができ、天意にそって生きることの安らぎを感じられるようになりました。これは、私が生を受けて以来、一番求めていたことでした。間に合って良かった!これが正直な感想です。それでも、まだまだ、びくびくして、先生におすがりしてしまいます。でも、小さな気づきあるたびに、それが魂の中に深くひろがっていく感じがしてうれしいです。寂しく、悲しいけど自由、虚しさと幸福、これが今の私の実感です。ありがとうございました。」
彼女は、彼女なりに自分と向き合って、深く生きることの安らぎを感じ、「これは、私が生を受けて以来、一番求めていたことでした。間に合って良かった!これが正直な感想です。」 という言葉は、心を深める生き方をしてきた人の言葉として、私は深く感じました。
ヨーガでは、本当の自分は純粋で白紙ですから、本当の自分にいろいろな体験をさせるために生かされていると考えます。楽しいことも、辛いことも、びくびくすることも安らぎを得ることも、本当の自分に体験させるためなのです。