なぜ量子論は、東洋思想に近づくのか 7
量子論と量子論の天才たち
次に、量子論を考えてみます。今までの古典物理学・ニュートン力学の常識が、量子論では通用しなくなったのです。量子は意識の働きで、波のようでいて粒子になったり、他の量子と何光年という遠くに離れていても瞬時につながったり(量子もつれ)、量子がとつぜん消えてしまったり、因果律が通用しなかったり(時間も空間もない)するのですから、当然科学者たちは、困惑しました。
つまり量子論は、ロゴス的知性だけでは理解できなくなったということです。そこで名だたる科学者たちは、東洋思想・レンマ的知性に目を向けていくことになったのです。
量子力学の育ての親で、ノーベル物理学賞を受賞したニールス・ボーアは、ボーア家の家紋に、中国の易経の 「太極図」 を採用していることはよく知られています。「陰と陽が入り混じるところに実在が存在する」 という易経に感銘したのだといいます。量子の世界は、波でもあり、粒でもあるが、人間の意識が介入するまでは、何も確定していない事実は、どう理解したらいいのか。彼は、易経の考え方 ― この世は、陰でも、陽でもない。すべてが 「確率の状態」 で入り混じっていて、どちらにもなりうる状態 ― という易経の考え方に、量子力学の共通点を見出したのでした。
量子力学では、私たちの実体は、形のないエネルギーのような存在であって、それが意識によって 「物質」 として認識され、意識されない間は形のないエネルギーのままでいる仕組みになっています。これは、仏教で説く「色即是空 空即是色」と似ています。目に見えるもの 「色」 は、目に見えないもの「空」 で出来ていますから、色も空も、実体は空ということになります。
ここで西洋と東洋の世界観の違いが、よく分かる話があります。ノーベル文学賞の受賞者の詩人タゴールと、アインシュタインの対談です。
インド人のタゴールは、科学そのものも人間が生んでいるもので、もしも人間がいなければこの世界は無に等しい。世界についての科学的理論も、所詮は科学者の見方に過ぎないといいます。
それに対して西洋人のアインシュタインは、真理は人間とは無関係に存在するもので、私が見ていなくても月は確かにあるのです、といいます。
そしてタゴールは、確かにその通りですが、月はあなたの意識になくても、他の人の意識にはあり、人間の意識の中にしか月が存在しないことは同じです。もし人間の意識が月だと感じなくなれば、それはもはや月ではなくなるのです、といいます。
このタゴールの、人間の意識抜きで自然法則を語っても意味がないと主張する考え方は、これは量子論と共通しています。西洋人のアインシュタインは、量子論に疑いを持ち、ロゴス的知性で考え、東洋人のタゴールは、レンマ的知性によって考えていますので、対談は平行線を保ったままです。