宇宙の叡智―レンマ的知性について

宇宙の叡智―レンマ的知性について (7)

ロゴスとレンマの対決

 一方、古代ギリシアでは、ロゴスと言葉は同じ本質を持つと考えました。ロゴスという知性は、目の前に集めたものを、順序だてて言葉で言うということでした。それは、「正しい言葉でいう」ことが、「正しく思考する」 と同じ意味になり、正しく言葉で表現されたものは、存在する対象物と同一になるからでした。
 このロゴスの知的作用を形式化して、「正しい論理学」 の基礎を築いたのが、アリストテレスでした。彼は、三つの法則を守ることで、正しい言語表現は可能になるといいました。
 それは①同一律(同じものは同じ) ②矛盾律(肯定と否定は両立しない) ③排中律(事物は分離できる) でした。
 ところが、仏教では、このロゴスの論理とは大きく異なる別種の論理、「レンマによる論理」 が発達しました。レンマという言葉は、言語によらず直観によって全体をいちどに理解することを意味していました。
 そのため、ナーガールジュナは、ロゴスを支える三法則に、徹底的な批判を加えました。
①の同一律を解除すると 「同じままであるものはない」 
②の矛盾律を解除すると 「否定と肯定は両立する」 
③の排中律が解除されると 「あらゆる事物は分離することができない」 となり、「あらゆる事物はつながりあっている(非分離である)」 という認識になりました。
 こうして、仏教では、ロゴスの三法則が解除されるとき顕わになってくる実在の様相を 「縁起」 と呼んでいるのです。

 ブッダの説いた縁起法の考えから、三世紀頃、大乗仏教は、ものには自性も本体もなく、空そのものであるという思想運動が起こっていました。
中央アジアでは、ナーガールジュナ(龍樹)が、諸現象は空である 「色即是空」 としました。一方、北インドでは、ウ゛ァスバンドゥ(世親)、アサンガ(無着)、弥勒(マイトレーア)は、空である心に諸現象の一切が生起する 「空即是色」 としました。
 そうして、色即是空の空論と空即是色の唯識論とが、論争を繰り返して、弁証法的に統合して 『華厳経』 が出現することになります。こうして、縁起の思考=レンマ的思考が生まれ、この知性は人間の心(脳)に内臓されていて、それを大乗仏教では「一心法界」 と呼んでいます。 


仏教思想史の変遷を俯瞰する

 以上、私は、大乗仏教の 『華厳経』 からレンマ的知性について考えてきました。ここで、インドで生まれたブッダの仏教が、どのようにして日本へ伝わって来たのか知りたくなりました。そして仏教思想の変遷を、俯瞰して見たくなりました。この俯瞰する行為は、生物が眼を獲得して以来、人間の持つ性(さが)の一つかもしれません。
 というのは、アンドリュー・パーカーの 『眼の誕生―カンブリア紀大進化の謎を解く』 という本によると、カンブリア紀(5億4千万年)に初めて眼が生まれたのだそうです。軟体性の三葉虫に、光感受性をもつ部位がふくらみ、集光力をもちはじめて、その変化がクライマックスに達し、複眼が形成されて、地球史上初めて、動物が開眼したというのです。
 私は、真っ暗闇の中に、初めて光を見た動物を想像しました。開眼した動物は、やがて周りを見渡し、俯瞰して捕食します。鳥は、鳥瞰して鼠を捕食します。鼠は、鳥を俯瞰してのがれます。現生人類も、自分を見、相手を見、周りを俯瞰して生活したと想像できます。眼の誕生は、自分から距離をおくことを強いられたのです。
 ヨーガでは、見る者を 「プルシャ=真我」 といいます。見られるものを 「プラクリティ=自然・自性」 といいます。人類は、眼の誕生で、初めて見る自分と、見られている自分の二人を、発見したのではないかと、私は思います。

 俯瞰図や鳥観図は、人間が飛行機を発明するずっと前からありましたので、眼を獲得した時から、もともと眼に俯瞰する機能が備わっているに違いありません。
 それが分かるのは、昔の人たち、葛飾北斎の富士山や、風景画などの浮世絵に、俯瞰図が多く見られます。また源氏物語などの絵巻にも、俯瞰図が描かれています。中国の昔の絵にも、鳥観図があるようです。レオナルド・ダビンチの鳥瞰した精巧な町の道路の地図が残っています。人間は、きっと鳥瞰したくて飛行機を発明したのです。

 それでは、仏教思想の歴史を俯瞰していきます。 
 インドには、もともと解脱思想が仏教以前からありました。アートマン(永遠不変の自我)が穢れから解放されて、本来の姿に戻ることが解脱でありました。ウ゛ェーダを生み、ウパニシャッドを生んだバラモン教の考え方です。そのバラモン教から、聖典やカーストなどの社会制度を受け継ぎ、そこに土着の民間信仰が融合して生まれたのが、ヒンズー教です。
 ヒンズー教と仏教は、悟りを開いて輪廻を止めるということは共通していましたが、悟りに至る方法が違っていました。
 ヒンズー教は、ブラフマン(永遠不変の自我)とアートマン(梵・大宇宙の根本原理)が一体化したときに、悟りにいたると説きました。それを、梵我一如といいます。その悟りを得るために、人々の間で苦行主義が盛んになっていきます。
 一方、ブッダは、無我を説いていますので、ブラフマンの存在を認めていません。人間は自我があるから苦しむので、ブッダは自我を消滅する修行へ向かったのです。そして、ブッダは、霊魂を否定し、苦行主義を否定し、呪術や迷信を否定します。そのバラモン教の批判として、「空」や「縁起」の思想をかかげて仏教が誕生します。
 やがて、ブッダの仏教は、大乗仏教としてインド全域へ広まっていきますが、4,5世紀頃、インドではヒンズー教が勢力を伸ばし、次第に大乗仏教は衰退していきました。そうした状況の中で、大乗仏教は生き残りをかけて、バラモン教やヒンズー教の呪術的な要素を取り入れて、密教が生まれることになります。
その生き残りもむなしく、13世紀初頭をもって、仏教はインド史から姿を消していきます。イスラム教の侵入が原因といわれていますが、本当は大乗仏教がヒンズー教に似てきたために、別に仏教というかたちをとる必要がなかったので、ヒンズー教に吸収されてしまったのが原因のようです。

 一方、大乗仏教は、インドから中国へ伝わります。中国では、大乗仏教はさらに道教の影響を受けて変容し、日本へ伝わってさらに日本風に変容します。
 やがて中国では、6世紀初め、インドから菩提達磨によってもたらされたディヤーナが禅那に音訳され、道教のグループに根を下ろし、老荘思想の影響を受けて禅に発展していきます。
 達磨から6代目を選ぶ時、後継者争いが起きて、南宗と北宗に分かれます。この争いの詳細は、1930年敦煌から発見された文献によって明らかになりました。南宗は慧能によって頓(瞬間)の悟りを主張し、北宗は神秀によって漸(持続)の悟りを主張しましたが、北宗はやがて消えていきます。一方、南宗の慧能の禅は、日本の栄西(臨済宗)と、道元(曹洞宗)へ引き継がれていきます。

 日本では、仏典も変容します。「草木国土悉皆成仏」は、インドや中国の仏典にはありません。インドでは、生物を、有情と非情に分けます。有情は、動物など心のあるものですが、植物や鉱物は心のない非情になるので、このような仏典はないのです。日本では昔から木や石も精霊が宿るといって、有情になるので、「草木国土悉皆成仏」 に変容したのです。それから、「山川草木悉皆成仏」 「山川草木悉有仏性」 の成句もでき、これらも日本人に人気のある言葉です。

 ブッダの教えの内容も、変容していきます。紀元前の 「涅槃経」 では、ブッダは、自分で努力して自分の道を歩めと教えています。
 それが大乗経仏典になると、ブッダの教えは次のように変容します。過去に出会ったブッダが守ってくれる、ブッダは別の世界にいて西方浄土へ呼んでくれる、あるいはブッダをこちらへ送ってくれるなどとなります。ブッダは、自分で自分の道を歩めと教え諭したのですが、ブッダは私とともにあると変容したのです。
 今までの大乗教仏典は、私たちとブッダは、別人格でした。ところが、4世紀頃の大乗 「涅槃経」 では、「一切衆生悉有仏性」 と言って、すべての人々は、仏の本性を自分の中に持っているとなり、ブッダと自分は同じになりました。ここから、如来蔵思想が生まれていきます。

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