宇宙の叡智―レンマ的知性について (4)
Hさんの高野山のヨーガ合宿と熊野古道の思い出
「熊野古道は、本当に素敵な旅でした。先生と 一緒だったから、はじめは無理と思った古道を全工程歩く事が出来て、嬉しかったです。大和民族のルーツや、森に宿る神々しさを感じる旅でもありました」
「エッセイを拝読させて頂き、崇高で美しいと感じました。 先生の奥深く、崇みに至る 感性に、感銘しました。そして、懐かしい映像が巡る様に見えて、一つ一つが、宝箱の様な思い出に思えます。特に元々の本宮の芝生は気持ち良くて、UTさんと思わず寝転んで広大な空を見上げた時、童心に返っていました。ヨーガをしながら熊野を歩けて、良かったです。感謝申し上げます」
「来週、化学療法ですが、熊野で頑張ったのを思い起こして、力が湧きそうです」
「今日は夕方から、いつになく、苦しく、息苦しく、瞑想、意識からエネルギーを中々取り込めずにいますが、瞑想を続けて、熊野の思いが蘇る様に、元気を取り戻したいと思っています」
「メールを頂きまして、ありがとうございます。先日、KMさんから先生の美しいお花満開のお家の写真を送ってもらって、私もロンドンに、お治療とヨーガに伺いたいな〜と思っていた所でした」
私は、このように頑張ったHさんを思い出しては、またHさんの早過ぎる死に、自分のふがいなさを感じて、無意識に自分を責めていました。それを打ち破って、レンマ的知性を呼び覚ませてくれたのが、KFさんからのメールでした。
「Hさん、ご帰天なさった由、さぞかしお寂しいことと拝察いたします。私は1ヶ月か2ヶ月前、はじめてHさんの夢をみました。とてもとても美しく明るく可愛らしい笑顔で軽やかに歩いていました。なにか、お茶目なことをおっしゃって、みんなで笑いました。その映像がとても鮮明で、一体これはどういう意味なのか考えました。今、ご逝去の報に接して、おもうことは、Hさんは肉体という不自由な着物を脱いで、自由な魂そのものとなって、愛の故郷に帰っていったのだな、ということです。気の交換のとき、上に上にと上っていこうとする彼女の姿が思いだされます。今はあのときに志向していた光の源にたどり着いて、本当にこぼれるような笑顔で先生を見つめていらっしゃると確信します。あの無垢なる魂に今生でもっと関わらせていただきたかったな、という心残りはありますが、今は安らかにおやすみくださいと祈ります。」
私は、このKFさんのメールを拝読するたびに、心のなかで号泣しました。そして、ロゴスからレンマへの思考へ切り替えることができました。さっそく私は、瞑想しました。すると、Hさんが現れたのです。
「今、ウソのように楽です。こちらには不安も、苦痛もありません。心地よさそのものです。今、私は、無限の自己です。すべてが一つにつながっているのが分かります」 と、あの優しい笑顔で話してくれました。
人生は、不条理なものです。悲しい出来事の後に、ガンが治った人の報告もありました。このような時、人は、なぜ治る人と、治らない人がいるのか、なぜ早死にしてしまうのか、と比較して考えてしまいます。これは、ロゴス的思考です。
この疑問は、瞑想してレンマ的知性が働くと、このような答えが出てきました。
宇宙は、本来、喜びも悲しみも、生も死も、台風が来ても、地震が起きても、火山が噴火しても、まったく変わりません。
自然は美しいところもあり、人々を楽しませてくれる反面、多くの人を不条理に、無慈悲に殺します。その生も死も破壊も含んだ宇宙、その自然の一部分として、私たちは存在しています。
大海に白波が立っても、やがて同じ水として大海へ帰ります。そのように私たちは、肉体がなくなっても、宇宙と一体となり、宇宙へ帰っていくのです。
Hさんは、宇宙と一体であった赤ちゃんとして生を受け、やがて言葉を覚えて自我が生まれ、学校で学び、結婚して子供を育て、エゴの問題に気が付き、自分を見つめ、心を深める生き方を実践して、できれば崇高でありたいと努力して、行けるところまで行くと決めて歩んだ人生でした。
その人生は、完璧でした。そのHさんの立派な生き方に、治った人と比較などできましょうか。また拝み屋さんに、いつまで生きられるかを聞いたり、死ぬ覚悟があるのかと問うたりする人は、Hさんの生き方を冒とくする行為で、深く恥ずべきです。
人生は、不条理であると認識したので、ガンが治った人のことも記します。
この人は、全身へ癌が転移していていましたが、心はいつも平穏で静かに過ごせて、いつ、訪れるかも分からない死への恐怖もなく、死ぬまで生きればいいのだからと、呑気に生活していたそうです。この人のメールを掲載しますので、そこから心の持ち方を学んでください。
「今年一年ありがとうございました。
実は、嬉しくて御礼を言いたくてメールしています。
全身に癌が転移していると診断されてもうすぐ一年という時、腫瘍マーカーが微妙に上昇したので、診断されてから初めて全身のpet検査を受ける事になりました。
薬の副作用もあり、なかなか体調は安定していない日々でしたが、心はいつも平穏で静かに過ごせていました。
いつ、訪れるかも分からない死への恐怖もなく、死ぬまで生きればいいのだから、誰も皆同じと呑気に構えていました。
ですから、腫瘍マーカー値が上がってもさほど動揺もせず、検査を受けて来ました。
結果、驚く事に活性化された癌細胞は全く見当たりませんでした。消えていたのです。
2月には、肺、肝臓、骨、頭蓋骨にまでも無数に散らばって数える事すら出来ない状態だった癌が消えていました。
骨も修復されていたのです。
主治医は、薬が効いただけだから油断するなと厳し目に言っていましたが抗がん剤の治療は受けておらず、厳しい治療はしていません。
先生の気功治療に心から御礼を申し上げます。
それとともに、心の在り方、生き方を導いて下さった先生のおかげで、死を前にしても平穏に暮らす事が出来たおかげだと思っています。
昨日分かった事なので、自分がまだ受け止めきっていません。
そんな事あるんだと思っています。
先生にまず伝えたくてメールしました。
感謝の気持ちでいっぱいです。」
「熊野古道は、本当に素敵な旅でした。先生と 一緒だったから、はじめは無理と思った古道を全工程歩く事が出来て、嬉しかったです。大和民族のルーツや、森に宿る神々しさを感じる旅でもありました」
「エッセイを拝読させて頂き、崇高で美しいと感じました。 先生の奥深く、崇みに至る 感性に、感銘しました。そして、懐かしい映像が巡る様に見えて、一つ一つが、宝箱の様な思い出に思えます。特に元々の本宮の芝生は気持ち良くて、UTさんと思わず寝転んで広大な空を見上げた時、童心に返っていました。ヨーガをしながら熊野を歩けて、良かったです。感謝申し上げます」
「来週、化学療法ですが、熊野で頑張ったのを思い起こして、力が湧きそうです」
「今日は夕方から、いつになく、苦しく、息苦しく、瞑想、意識からエネルギーを中々取り込めずにいますが、瞑想を続けて、熊野の思いが蘇る様に、元気を取り戻したいと思っています」
「メールを頂きまして、ありがとうございます。先日、KMさんから先生の美しいお花満開のお家の写真を送ってもらって、私もロンドンに、お治療とヨーガに伺いたいな〜と思っていた所でした」
私は、このように頑張ったHさんを思い出しては、またHさんの早過ぎる死に、自分のふがいなさを感じて、無意識に自分を責めていました。それを打ち破って、レンマ的知性を呼び覚ませてくれたのが、KFさんからのメールでした。
「Hさん、ご帰天なさった由、さぞかしお寂しいことと拝察いたします。私は1ヶ月か2ヶ月前、はじめてHさんの夢をみました。とてもとても美しく明るく可愛らしい笑顔で軽やかに歩いていました。なにか、お茶目なことをおっしゃって、みんなで笑いました。その映像がとても鮮明で、一体これはどういう意味なのか考えました。今、ご逝去の報に接して、おもうことは、Hさんは肉体という不自由な着物を脱いで、自由な魂そのものとなって、愛の故郷に帰っていったのだな、ということです。気の交換のとき、上に上にと上っていこうとする彼女の姿が思いだされます。今はあのときに志向していた光の源にたどり着いて、本当にこぼれるような笑顔で先生を見つめていらっしゃると確信します。あの無垢なる魂に今生でもっと関わらせていただきたかったな、という心残りはありますが、今は安らかにおやすみくださいと祈ります。」
私は、このKFさんのメールを拝読するたびに、心のなかで号泣しました。そして、ロゴスからレンマへの思考へ切り替えることができました。さっそく私は、瞑想しました。すると、Hさんが現れたのです。
「今、ウソのように楽です。こちらには不安も、苦痛もありません。心地よさそのものです。今、私は、無限の自己です。すべてが一つにつながっているのが分かります」 と、あの優しい笑顔で話してくれました。
人生は、不条理なものです。悲しい出来事の後に、ガンが治った人の報告もありました。このような時、人は、なぜ治る人と、治らない人がいるのか、なぜ早死にしてしまうのか、と比較して考えてしまいます。これは、ロゴス的思考です。
この疑問は、瞑想してレンマ的知性が働くと、このような答えが出てきました。
宇宙は、本来、喜びも悲しみも、生も死も、台風が来ても、地震が起きても、火山が噴火しても、まったく変わりません。
自然は美しいところもあり、人々を楽しませてくれる反面、多くの人を不条理に、無慈悲に殺します。その生も死も破壊も含んだ宇宙、その自然の一部分として、私たちは存在しています。
大海に白波が立っても、やがて同じ水として大海へ帰ります。そのように私たちは、肉体がなくなっても、宇宙と一体となり、宇宙へ帰っていくのです。
Hさんは、宇宙と一体であった赤ちゃんとして生を受け、やがて言葉を覚えて自我が生まれ、学校で学び、結婚して子供を育て、エゴの問題に気が付き、自分を見つめ、心を深める生き方を実践して、できれば崇高でありたいと努力して、行けるところまで行くと決めて歩んだ人生でした。
その人生は、完璧でした。そのHさんの立派な生き方に、治った人と比較などできましょうか。また拝み屋さんに、いつまで生きられるかを聞いたり、死ぬ覚悟があるのかと問うたりする人は、Hさんの生き方を冒とくする行為で、深く恥ずべきです。
人生は、不条理であると認識したので、ガンが治った人のことも記します。
この人は、全身へ癌が転移していていましたが、心はいつも平穏で静かに過ごせて、いつ、訪れるかも分からない死への恐怖もなく、死ぬまで生きればいいのだからと、呑気に生活していたそうです。この人のメールを掲載しますので、そこから心の持ち方を学んでください。
「今年一年ありがとうございました。
実は、嬉しくて御礼を言いたくてメールしています。
全身に癌が転移していると診断されてもうすぐ一年という時、腫瘍マーカーが微妙に上昇したので、診断されてから初めて全身のpet検査を受ける事になりました。
薬の副作用もあり、なかなか体調は安定していない日々でしたが、心はいつも平穏で静かに過ごせていました。
いつ、訪れるかも分からない死への恐怖もなく、死ぬまで生きればいいのだから、誰も皆同じと呑気に構えていました。
ですから、腫瘍マーカー値が上がってもさほど動揺もせず、検査を受けて来ました。
結果、驚く事に活性化された癌細胞は全く見当たりませんでした。消えていたのです。
2月には、肺、肝臓、骨、頭蓋骨にまでも無数に散らばって数える事すら出来ない状態だった癌が消えていました。
骨も修復されていたのです。
主治医は、薬が効いただけだから油断するなと厳し目に言っていましたが抗がん剤の治療は受けておらず、厳しい治療はしていません。
先生の気功治療に心から御礼を申し上げます。
それとともに、心の在り方、生き方を導いて下さった先生のおかげで、死を前にしても平穏に暮らす事が出来たおかげだと思っています。
昨日分かった事なので、自分がまだ受け止めきっていません。
そんな事あるんだと思っています。
先生にまず伝えたくてメールしました。
感謝の気持ちでいっぱいです。」