宇宙の叡智―レンマ的知性について (9)
普遍語
これは、言葉を土着語と普遍語に比較してみると理解できます。今、世界中に使われている普遍語は、英語です。しかし、英語も最初は土着語だったのです。英語はドイツ地方の土着語にイギリス地方の土着語とケルト語などが一体となってできた土着語です。
私が、普遍語ということに気がついたのは、スペインに滞在していたときかもしれません。昔、20代の頃、スペインのマドリッドに、1年以上滞在したことがきっかけでした。私は、スペイン史を研究している日本人と知り合い、彼から東大教授堀米庸三の本(分厚くて重い本で題名は忘れました)をお借りしてから、普遍語を意識しました。
8世紀のヨーロッパでは、アラビア語が普遍語でした。
スペインのコルドバは、8世紀にイスラム教徒に征服されて、トレドと並んで西方イスラーム文化の中心地として発展し、大図書館が建てられて多くの学者が活躍し、10世紀には世界最大の人口を持つ都市となっていました。
当時ヨーロッパの学問はコルドバが中心で、イギリスやフランスなどヨーロッパ各国から学生たちがやってきて、アラビア語を習得し、イスラムの科学やギリシャの哲学を学んだというのです。ちょうど日本の長崎に、最新の科学を勉強しに日本各地から青年たちが集まって、オランダ語を学び、蘭学を研究したように、コルドバはヨーロッパの長崎のような場所であったというのです。
ですから、8世紀は、ヨーロッパではアラビア語が普遍語でした。英語やフランス語やドイツ語などは、語彙が少なくて、日常生活するための言語で、知的で複雑なことを論じることができない土着語でした。そのため、ヨーロッパの留学生たちは、アラビア語を学んで、イスラムの科学やギリシャの哲学を吸収したのです。ソクラテスの哲学が、アラビア語に翻訳されていたからです。
そして、キリスト教のレコンキスタ(再征服)により、15世紀にイスラム勢力がイベリア半島から追われて、ヨーロッパでは直接ギリシャ語からギリシャの哲学を学ぶことが可能になったのです。
今思うと、ヨーロッパ各国は、日本の江戸時代とまったく同じだったのです。ヨーロッパの最新科学が長崎の出島にあり、日本人がオランダ語を学んで、ヨーロッパの最先端の科学を吸収したのです。その時、日本人がしたことは、日本語にない語彙を苦労して、杉田玄白たちが日本語に翻訳していったのです。そして、日本語という土着語から世界に通用する国語ができていったのです。そのお陰で、日本の科学はすでに明治時代に世界の水準に達していたのです。
イスラムが去った後、今度は、ラテン語が普遍語になりました。中世ヨーロッパをラテン語が支配したのです。ローマ教会はラテン語を公用語として、聖書もラテン語で書かれていて、大学の講義や議論もすべてラテン語で行われました。ラテン語は、万国共通語で普遍的な言葉で、土着語は知的な議論には向かないと思われていたそうです。ラテン語は、ただ教養のある人々にだけ分かり、一般市民は地域の言葉(土着語)で話していて、ラテン語は理解できなかったというのです。
そのような状況に、宗教改革が起きて、マルティン・ルターなどが、聖書をラテン語から土着語(ドイツ語)に翻訳し、フランスなどでも土着語(フランス語)に翻訳されていきます。そうすると、庶民は直接に聖書を土着語で読むことができ、教会の権威に疑問をもつことが容易になり、コンプレックスを一掃し、自分たちの言葉はけっしてラテン語に引けをとるものではないという、人々に限りない自信を与えることになったというのです。デカルトの「方法序説」も、土着語(フランス語)で書かれて、土着語による真の知的探求が可能であることを証明しました。
これは、日本でも同じでした。18世紀、日本人がオランダ語から土着語(日本語)に翻訳し、明治になって、土着語でも世界に通用する科学の研究が可能であることを証明したと同じことだと思います。日本語は、土着の日本語に、オランダ語が入り、英語が入り、足りない言葉は、福沢諭吉や西周などにより、造語されていきました。そして、世界に通用する日本語ができて、世界中の本を翻訳できるまでになっています。今は中国へ、科学や医学の日本語の漢字を輸出するまでになっています。
こうして見てくると、言葉は、新しいものを受け入れて、変容していかないと土着語のままでは、普遍語にはなっていかないのです。そして、たまたま普遍語になった英語も、いつまで普遍語の地位にあるかは保証できないのです。
このようなことから分かることは、ブッダの仏教がインドから世界へ広まって行き、変容して様々な宗派ができてきましたが、どれが正しいとか間違っているというのは、意味をなしません。
今、欧米では、イスラム教やキリスト教を抜いて、仏教の影響が深く浸透しています。世界の仏教徒は、約五億人で、アメリカの仏教徒は約300万人、ヨーロッパでは約100万人、正式な仏教徒でない人を入れると、アメリカ人は2500万人になるそうです。
仏教の各宗派が最も多く集まっているのは、バンコックでも京都でもなく、アメリカ第二の都市ロサンゼルスで、アジアの80を超える各宗派が共存しているというのです。
アメリカで数百万部のベストセラーになった小説、『葉っぱのフレディ』(レオ・パスカーリア著)には、深く仏教の影響が見られます。著者は、カトリック教徒ですが、仏教に影響を受けた人です。
今、欧米では、マインドフルネスというブッダの瞑想が流行しています。キリスト教徒が、熱心にマインドフルネスという、ブッダの瞑想をやっているのです。キリスト教徒であれ誰であれ、ブッダの瞑想をして、それで救われれば、それは価値があるのです。
大切なのは、今、それをやって、自分が救われることができれば、それは価値があるのです。そのことに、良いや悪い、正邪はないのです。
これは、言葉を土着語と普遍語に比較してみると理解できます。今、世界中に使われている普遍語は、英語です。しかし、英語も最初は土着語だったのです。英語はドイツ地方の土着語にイギリス地方の土着語とケルト語などが一体となってできた土着語です。
私が、普遍語ということに気がついたのは、スペインに滞在していたときかもしれません。昔、20代の頃、スペインのマドリッドに、1年以上滞在したことがきっかけでした。私は、スペイン史を研究している日本人と知り合い、彼から東大教授堀米庸三の本(分厚くて重い本で題名は忘れました)をお借りしてから、普遍語を意識しました。
8世紀のヨーロッパでは、アラビア語が普遍語でした。
スペインのコルドバは、8世紀にイスラム教徒に征服されて、トレドと並んで西方イスラーム文化の中心地として発展し、大図書館が建てられて多くの学者が活躍し、10世紀には世界最大の人口を持つ都市となっていました。
当時ヨーロッパの学問はコルドバが中心で、イギリスやフランスなどヨーロッパ各国から学生たちがやってきて、アラビア語を習得し、イスラムの科学やギリシャの哲学を学んだというのです。ちょうど日本の長崎に、最新の科学を勉強しに日本各地から青年たちが集まって、オランダ語を学び、蘭学を研究したように、コルドバはヨーロッパの長崎のような場所であったというのです。
ですから、8世紀は、ヨーロッパではアラビア語が普遍語でした。英語やフランス語やドイツ語などは、語彙が少なくて、日常生活するための言語で、知的で複雑なことを論じることができない土着語でした。そのため、ヨーロッパの留学生たちは、アラビア語を学んで、イスラムの科学やギリシャの哲学を吸収したのです。ソクラテスの哲学が、アラビア語に翻訳されていたからです。
そして、キリスト教のレコンキスタ(再征服)により、15世紀にイスラム勢力がイベリア半島から追われて、ヨーロッパでは直接ギリシャ語からギリシャの哲学を学ぶことが可能になったのです。
今思うと、ヨーロッパ各国は、日本の江戸時代とまったく同じだったのです。ヨーロッパの最新科学が長崎の出島にあり、日本人がオランダ語を学んで、ヨーロッパの最先端の科学を吸収したのです。その時、日本人がしたことは、日本語にない語彙を苦労して、杉田玄白たちが日本語に翻訳していったのです。そして、日本語という土着語から世界に通用する国語ができていったのです。そのお陰で、日本の科学はすでに明治時代に世界の水準に達していたのです。
イスラムが去った後、今度は、ラテン語が普遍語になりました。中世ヨーロッパをラテン語が支配したのです。ローマ教会はラテン語を公用語として、聖書もラテン語で書かれていて、大学の講義や議論もすべてラテン語で行われました。ラテン語は、万国共通語で普遍的な言葉で、土着語は知的な議論には向かないと思われていたそうです。ラテン語は、ただ教養のある人々にだけ分かり、一般市民は地域の言葉(土着語)で話していて、ラテン語は理解できなかったというのです。
そのような状況に、宗教改革が起きて、マルティン・ルターなどが、聖書をラテン語から土着語(ドイツ語)に翻訳し、フランスなどでも土着語(フランス語)に翻訳されていきます。そうすると、庶民は直接に聖書を土着語で読むことができ、教会の権威に疑問をもつことが容易になり、コンプレックスを一掃し、自分たちの言葉はけっしてラテン語に引けをとるものではないという、人々に限りない自信を与えることになったというのです。デカルトの「方法序説」も、土着語(フランス語)で書かれて、土着語による真の知的探求が可能であることを証明しました。
これは、日本でも同じでした。18世紀、日本人がオランダ語から土着語(日本語)に翻訳し、明治になって、土着語でも世界に通用する科学の研究が可能であることを証明したと同じことだと思います。日本語は、土着の日本語に、オランダ語が入り、英語が入り、足りない言葉は、福沢諭吉や西周などにより、造語されていきました。そして、世界に通用する日本語ができて、世界中の本を翻訳できるまでになっています。今は中国へ、科学や医学の日本語の漢字を輸出するまでになっています。
こうして見てくると、言葉は、新しいものを受け入れて、変容していかないと土着語のままでは、普遍語にはなっていかないのです。そして、たまたま普遍語になった英語も、いつまで普遍語の地位にあるかは保証できないのです。
このようなことから分かることは、ブッダの仏教がインドから世界へ広まって行き、変容して様々な宗派ができてきましたが、どれが正しいとか間違っているというのは、意味をなしません。
今、欧米では、イスラム教やキリスト教を抜いて、仏教の影響が深く浸透しています。世界の仏教徒は、約五億人で、アメリカの仏教徒は約300万人、ヨーロッパでは約100万人、正式な仏教徒でない人を入れると、アメリカ人は2500万人になるそうです。
仏教の各宗派が最も多く集まっているのは、バンコックでも京都でもなく、アメリカ第二の都市ロサンゼルスで、アジアの80を超える各宗派が共存しているというのです。
アメリカで数百万部のベストセラーになった小説、『葉っぱのフレディ』(レオ・パスカーリア著)には、深く仏教の影響が見られます。著者は、カトリック教徒ですが、仏教に影響を受けた人です。
今、欧米では、マインドフルネスというブッダの瞑想が流行しています。キリスト教徒が、熱心にマインドフルネスという、ブッダの瞑想をやっているのです。キリスト教徒であれ誰であれ、ブッダの瞑想をして、それで救われれば、それは価値があるのです。
大切なのは、今、それをやって、自分が救われることができれば、それは価値があるのです。そのことに、良いや悪い、正邪はないのです。
2020年1月12日 望月 勇