宇宙の叡智―レンマ的知性について

宇宙の叡智―レンマ的知性について (5)

南方熊楠

 以上、粘菌から始まってレンマ的知性へ話が進みました。ところでアメーバのような粘菌を、私の心にすぐ思い出させたのは、南方熊楠という人物によるのです。といいますのは、ずいぶん昔になりますが、ある知人の家の本棚にあった 『縛られた巨人』(神坂次郎著)という本を、偶然に見つけて読みました。その伝記の主人公が、南方熊楠なのでした。
 熊楠は、粘菌の世界的な権威の学者であり、最近では多くの人に知られていますが、ちょっと前まではその名前すら知られていない存在でした。作家の北杜夫の奥さんが、ご主人の蔵書の南方熊楠全集を見て、主人は昆虫収集癖に加えて、とうとう哺乳類の南方熊にまで手を出したのかと心配したほどだったそうですから、その名前は一般にほとんど知られていませんでした。

 その熊楠の伝記の本の出会いもそうですが、ご縁とは、不思議なものです。私の芦屋のヨーガ教室に、南方熊楠の子孫の青年が参加していることが分かり、熊楠によけい親しみを感じました。そして、2019年6月、高野山のヨーガ合宿の後、40名ほどで熊野古道へ旅し、南紀白浜の南方熊楠記念館を訪れることもできて、ここでも不思議なご縁を感じました。

 南方熊楠は、西欧のロゴス(論理)を深く理解しながら、近代の 「自然」 に真っ向から挑戦した人物でもありました。
 熊楠は、途方もない博覧強記で、西欧のロゴスを完全にマスターして、大英博物館の職員になり、数々の注目すべき論文を一流の科学雑誌 『ネイチャー』 に60以上も発表し、まだ日本人でその数を上回った人はいないといわれています。粘菌学者として高い評価を得ていましたが、ある学者と論争をしてやり込めたことが原因で、博物館を追い出されてしまうはめになるのです。

 彼は、西欧の自然科学が、ロゴスの体系をもとにしていることに強い違和感を覚え、ロンドンから故郷の和歌山へ戻り、那智の山中に籠って、粘菌の採集と研究をはじめたのでした。
 熊楠は、粘菌の観察と研究により、この世界はロゴスでは説明がつかないことを感じていました。粘菌は、湿気の多い時に、アメーバとなって古木の肌を捕食しながら移動し、乾燥期になると植物のようになり、胞子を空中に飛散させる。このような粘菌の研究によって彼は、生命現象では、生と死を分類できないことを認識していたのです。そして、生命現象は、ロゴスでは解明できないこと、仏教でいう生でもなく死でもない、不生不滅こそが実相であるという、レンマの理解に達していったのでした。そうして、表面に見える顕在性は、目に見えない潜在性と、あらゆるものが多様につながりあい、分岐や切断や再結合をおこなっているという 「南方曼荼羅」 と呼ばれることになる図をつくることになるのです。


レンマと『華厳経』

 『レンマ学』 の著者中沢新一は、南方熊楠に啓発されて、「レンマ学」 を考えたと述べています。そしてその著書の中で、レンマ的知性を余すところなく解き明かしたのが、大乗仏教の 「華厳経」 であると言います。
 「華厳経」は、紀元三世紀頃、中央アジアで作られたとされます。「法華経」 は、一般に名前が知られていますが、「華厳経」 はあまり馴染みが薄い感じがします。しかし、東大寺の大仏さんというと誰でも知っています。「華厳宗」 の総本山が東大寺で、その大仏の正式名が 「毘盧遮那仏」 で 「無数のブッダの壮麗なる集まり」 という意味だそうです。
 ある仏教関係の本によると、「華厳経」 は 「法華経」 と双璧をなす重要な大乗仏教経典ということで、日本人のものの見方に大きな影響を与えているそうです。ただ、華厳経は、奈良時代に鎮護国家(国を治めるための仏教)として重要視されたものの、その後、あまり注目されなくなって行ったそうです。
 「華厳経」 は、膨大な量の経典で、読み物としては面白いのですが、悟りに至る教えを取り出しにくい反面、最大の魅力は、悟りよりも 「壮大で宇宙的な世界観」 にあるといいます。「華厳経」 の有名な 「一即多・多即一」 という教えは、一塵の中には無限の宇宙が存在し、同時に、無限の宇宙は一塵と同じであるという意味です。この小さなものの中に無限の宇宙を見だそうという考えが、茶道や華道、盆栽、石水などを生んだ文化といえます。
 また、この 「華厳経」 は、密教へつながっています。密教の最重要仏である大日如来は、サンスクリット語で、「マハーヴァイローチャナ」 で、東大寺の大仏 「毘盧遮那仏」 と同じです。宇宙には、細かいミクロの世界もあれば、マクロの世界もあり、それらは全部つながっているという 「華厳経」 の世界観は、そのまま 「大日如来」 を本尊とする空海の真言宗へ強く影響を与えているのです。
 「華厳経」が衰退していった原因は、鎮護国家の仏教であり、世界の素晴らしさを説いた理論的なことは書かれていますが、救いや悟りの方法が説かれていないことにありました。
 一方、密教は、4,5世紀頃、インドで誕生しました。そのころ、インドではヒンズー教が勢力を伸ばし、次第に大乗仏教は衰退していましたから、その中で生き残りをかけてバラモン教やヒンズー教の呪術的な要素を取り入れて、密教ができていきます。そして、密教には、具体的な修行方法とゴールが示されています。ゴールは、「即身成仏」(生きたまま仏の境地に至る)ことと、「三蜜加持の行」で、「今ある私が仏である」ということに気づくことです。
 密教においては、どうすればブッダになれるか、ということは解決済みになりました。そのため、空海は、池を作ったり、橋をかけたり、すべて社会的な事業へ向かうことになり、加持祈祷やゴマを焚いて、現世利益を願う要素が強くなっていきます。

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