アイルランドの遺跡の旅

アイルランドの遺跡の旅 2


 私は安堵感を覚え、静かに目を閉じて、間に合ったことに不思議さを感じました。そして旅の面白さは、この偶有性にあると思いましました。旅で起きることは大体予想できますが、できないことも混じっているのです。私は、この予想できない不確実な状態の中で、時間の不思議さに気づきました。

 この世界では、アインシュタインを始めとする多くの科学者たちの研究で、普遍的な時間の流れなど存在せず、時間は物理的であると同時に、感覚的なものでもあり、ゴムひものように引っぱって伸ばしたり、縮めたりできるということです。いまや科学において一般理解になっているようです。
 また他方で感覚的領域は、神秘的で幻想的で、不気味な量子論の世界によって特徴づけられているのです。
 科学的にそのようになっていると説明されても、時間の流れは存在しないとか、時間がゴムひものように伸びたり縮んだりするということが、私には実感としてよく分かりませんでした。

 このような時間の不思議さは、危険な目に遭った人が、まるで出来事がスローモーションのように見え、やるべき時間は十分あると感じて、命が助かったという話や、またスポーツ選手や臨死体験者が、時間が止まったようにゆっくり感じられたことがあるというような話から、私には関係ないと思っていました。しかし、このような超常的な感覚を体験したら、その人たちには時間を超越した気がしたはずです。
 一般にこのような経験は、「ゾーンに入る」 「フロー」 「ザ・ナウ」 「いまこの瞬間に存在している」 「いまを生きる」 などと呼ばれています。
 これらの超越した感覚は、一流のスポーツ選手や限られた人だけしか 「ゾーンに入る」 ことができないのだろうか、と私は自問していました。なぜなら私には普通の人でも日常生活で気づかない内に、時間を超越した経験をしているのではないかと思ったからです。
 というのは、私の気功施術を受けに来る人たちで、「今車で向かっていますが、道が混んでいて15分くらい遅れます」 という連絡があって、待っていると、やってくるなり 「遅れて申し訳ありません」 というのです。私は、時計をみて、「予約時間ぴったりですよ」 というと不思議そうな顔をする人々がいるからです。

 そのようなことを思い出して考えると、私にも時間を超越した体験があり、思い起こすと3回ありました。
 一つ目は、今回の道に迷った体験で、もう5分しか時間がないのに、なぜかあの長い距離を歩いて時間に間に合ったこと。

 二つ目は、最近ロンドンの自宅からヒースロー空港に行った時です。早朝9時半のフライトに乗るために予約していたミニキャブが来なかったのです。焦って友人の自動車整備会社の経営者に相談したところ、彼の計らいで、仕事をリタイヤーしている男性が、親切に空港へ行ってくれることになりました。その男性は 「もう8時半近いし、この時間は通勤ラッシュでフライトに間に合うかどうか分かりませんよ」 というのです。空港まで約1時間かかり、国際線はチェックインを1時間前にしなければなりません。だめかと思いましたが、それでも奇跡的にフライトに間に合いました。

 三つ目は、10年くらい前ですが、ミュンヘンにヨガ教室と治療の仕事があり、10時頃のフライトに乗るため、タクシーでヒースロー空港へ向かっていました。この時間帯は学校へ子供を送る車が多いため、渋滞がことのほか激しく、運転士は、近道を見つけては通り抜けようとしますが、どこも混んでいます。いらいらした運転手は、さじを投げた様子で、もう間に合わないという態度です。そして空港に着いたら、運転手は、私の顔をみて、「It was in time. You won.」(間に合った。あなたが勝ったね) といいました。何と間に合ったのです。今でも、運転手が言った言葉を覚えています。

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