アイルランドの遺跡の旅 5
羨道墳(せんどうふん)での体験
ニューグレンジは、アイルランドの東部のボイン渓谷の川沿いにある遺跡です。新石器時代の羨道墳で、通路がある墓のことです。どれくらい古いかというと、5,200年前に建てられました。放射性炭素年代測定によれば、ギザのピラミッドより500年も古く、ストーンヘンジよりも1,000年前の遺跡というのです。
このニューグレンジを訪れるには、ニューグレンジ・ビジターセンターからガイド付きツアーでしか許されません。ガイドさんに案内されて、樹木の繁ったトンネルの道を歩いて進み、川を渡ります。川は、木橋のたもとを水量たっぷりに、心地よく流れています。10分くらい歩いてからニューグレンジまでのシャトルバスに乗り込み、途中、ノウスという場所に寄りました。そこにある大きな羨道墳と、10カ所ほどある小さい塚を1時間位かけて見学しました。ニューグレンジの周りには、同時代に建設されたノウスとダウスの二ヵ所に羨道墳があり、小さいものをいれると35も墳墓がありました。この辺り一帯の豊な大地には、大規模な農業コミュニティが存在していたことが分かります。日本では縄文時代中期にあたり、縄文文化が最盛期を迎え、人口も26万人を超え、「火焔土器」 や 「縄文のビーナス」 などの土偶が作られた時期に当たります。
ノウスからシャトルバスで、ニューグレンジへ向かいました。ニューグレンジは巨大で、緑の芝生の丘に、石と芝生に覆われた大きな円形の塚となって現れました。大きさは、直径が85メートル、高さが13メートルあるといいます。前方に白い珪岩と花崗岩の壁があり、周囲は97個の大きな縁石に囲まれて、塚の上は緑の芝生に覆われています。それは、よく晴れた青い空のもと、鮮やかなコントラストをなして気品が感じられました。
入口には、巨石が横たわり、大きな渦巻模様がいくつも彫刻されています。この複雑な円と螺旋のデザインは、ケルト芸術に大きな影響を与えていて、ヨーロッパの新石器時代の最高の作といわれています。
その巨石の裏に、小さな入り口があり、その上にルーフボックスという長方形の明り取りの小さな窓が口を開けています。墳墓の中を案内するガイドさんが、人数を制限して案内します。私は、狭い大きな石の壁を伝って暗い穴に入りました。
一歩足を踏み入れた瞬間、そこは外の世界とはまるで違う、異質の、独特の時間と空間に支配されているのを、私は感じました。
5,000年前の時間と空間が、一つに溶け合っているような異次元の世界に、頭から突っ込んだ思いでした。ヒンヤリとした空気とともに、巨石の岩肌がごつごつ見え、威圧感を感じました。閉所恐怖症の人は大変だろうな、と思いながら、小さな薄暗い電灯にてらされて、さらに奥に進みました。途中、天井に突き出ている岩に身をこごめて、19メートルも内部へ進むと、急に大きな丸い部屋のようなところにでました。十字型の部屋は、天井が床から6メートルもあり、持送りアーチになっています。よく見ると、岩壁の隙間には、ぴったり嵌まる石が丁寧に嵌め込まれ、防水性も保っていて、雨の多いアイルランドで、5,000年間一滴も雨漏りがしていないという事実には驚きです。
薄暗い小さな電灯に照らされて、周囲の岩を見ると、入口の巨石に刻まれた渦巻模様が、小さくあちらこちらに彫られていました。鉄がないので彫るには時間がかかっただろうと想像されます。
この羨道墳は、大変重い石で作られています。その石を遠く離れた海岸から、船で川をさかのぼって運んできたようです。300人の農民が、約30年かかったという説もあります。そんなことを想像していた時でした。