量子論の不思議な世界

量子論の不思議な世界 10


量子論を自分の体験に当てはめて考えてみる

その三
 その後に、エッセイでは次のように続きます。
 「このことは、私がインドで体験しました。以前、何回もブッダの四大聖地を訪れたことがありました。その一つに、ブッダが悟りを開いたとされる仏教の最大の聖地ブッダガヤがあります。その地を20代の最初に訪れた時は、聖地を見たという大きな満足感と、目頭が熱くなる感動がありました。それが、ヨーガを始めてから30代で再び訪れた時、感動は爆発にかわりました。突然わけもなく、唇をふるわせて号泣してしまったのです。
 それは、何かに触れた感触でした。2500年前のブッダの波動がまだ遺跡に残っていて、それを感じたのかもしれません。ブッダが悟りを得た金剛宝座に近づくと、足元が、地震が起きたように揺れ始めたので、びっくりしました。立っていることができなくて、よろめきながら菩提樹の下で泣き伏してしまいました。」

 これも量子論で考えてみると、こんなふうになります。
「量子もつれ」 という現象があります。量子には情報が付随していますので、外部に情報を持つ量子がある場合、それと自分を構成している量子が、量子もつれの現象を起こすと、その量子の外部の情報を認識することができるようです。
 私がインドで体験したのは、ブッダガヤでブッダが悟りを得た量子の情報と、私の身体を構成している量子と 「量子もつれ」 を起こしたということではないでしょうか。そのブッダの悟りの情報の付随している量子を感じて、突然わけもなく号泣してしまったのです。そう考えると、納得しました。
 量子生物学でも、渡り鳥が外部の地磁気の量子と鳥の目の細胞の量子とが、量子もつれをして、方向性が定まることが分かっているといいますので、私のブッダガヤでの量子もつれの体験も荒唐無稽な話ではないと思います。

<<前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 次ページ>>