量子論の不思議な世界 12
量子論を自分の体験に当てはめて考えてみる
その五
また量子には情報と意識があり、それによって現実が形成されていて、その原子や分子には、それ独自の意識があると主張する人もいます。
そうすると、亡くなった人の身体の原子がバラバラになり、それが複数の人にリサイクルされて、その原子が過去生を思い出させたら、過去に同じ人物であった人が現在複数いても当然であるということになります。
これに対して、普通は、量子や原子は、意識により結びつくので、一つにまとまる傾向が強く、統一体として転生しやすくなるのだという人もいます。
ここで仏教の輪廻転生を思い出しました。ブッダは、自我などないといって、「無我」 「無記」 を主張しました。このため、後の大乗仏教の思想家たちには、「実体がないものがどうして輪廻するのか」 ということが問題になっていきます。
実体として変わることのない自我(アートマン)があるから、自分が生まれ変わったと分かるのに、自我のようなものはないけれども、輪廻はある、というこの矛盾する二つを調和させるのに、大乗仏教学者たちは大変苦慮します。
そこで大乗仏教は、この矛盾を英知を駆使して何とか解決しようとしました。そして考えられたのが、唯識学の 「アーラヤ識」 です。これは、ヨーガの瞑想の臨床体験を通して、心の構造を玉ねぎのように八つの層に包まれていると理解して、八つ目の心のコア(核)をアーラヤ識(八識)としました。そして、ここに自我の根があり、すべての生命情報があるとしたのです。
1600年前の大乗仏教の思想家たちが、もし量子論を知っていたら、量子の中にすべての情報と意識があることを知り、苦慮しなくて済んだかもしれません。