量子論の不思議な世界

量子論の不思議な世界 4


光から生まれた量子論

 歴史を見ると、量子論とは、光の研究から生まれてきました。1900年、ドイツの物理学者プランクが、物質を熱したとき、その物質が放つ光の色の関係から、「量子」 というものを初めて提唱しました。
 光についての科学的な研究は、十七世紀に始まり、イギリスの天才科学者ニュートンは、太陽光をプリズムに通して、七色の光に分かれることを発見します。光とは、さまざまな色を持った小さな粒が集まったものだと考えました。これを、「光の粒子説」 といいます。

 一方それと同じ時期に、「光の波動説」 を唱えたのが、オランダの物理学者ホイヘンスです。そうして、この光の正体については、「粒」 であると言う説と、「波」 であるという説が対立し、両者一歩も譲らない歴史的な論争が続くことになります。
 最初は、光の粒子説が有力でしたが、十九世紀初めに、イギリスの物理学者ヤングが、光の干渉という現象を発見してから、干渉は波に特有の現象だったので、一気に光の波動説が形勢を逆転しました。
 そして、その論争の最終決着のような位置づけで、アインシュタインが、光は粒子と波動の両方の性質をもつ量子である、という理論を発表しました。それにより、彼は、1921年ノーベル物理学賞を受賞しています。相対性理論が受賞理由ではありませんでした。この時から、光は波と粒子の両方の性質を持つという理論が、広く支持されることになったのです。

 また、ニールス・ボーアは、量子論を築いた功績で1922年ノーベル物理学賞をもらっています。その量子論の内容は、ミクロの世界が持つ奇妙な性格でしたので、アインシュタインは量子力学の創始者のひとりであるにもかかわらず、量子論を認めていませんでした。その奇妙な性格とは、次のようなものでした。

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