量子論の不思議な世界

量子論の不思議な世界 11


量子論を自分の体験に当てはめて考えてみる

その四
 このエッセイをお読みになり、感想をお書きくださった人がいます。最近、始発列車に乗って、地方からロンドンへ私の朝のヨガ教室にご参加されている方です。英国で長く人智学を学ばれて、今は人智学の先生になっている女性です。
 「前回のエッセイも拝読いたしました。大変感銘を受け、いろいろな部分で私も同じような経験があったりして、返信を書きたかったのですが、(略)返信できないまま時間が過ぎてしまいました。以下、所々印象に残ったところにですが、感想を書かせて頂きます。」

 「聖地ブッダガヤで、先生が号泣されたとのこと、多分理由は違うのだろうと思いますが、すごくよくわかります。とても高い波動なのかエネルギーなのか、確かにそのようなものに触れると私も突然号泣した事は何回かありました。
 その一つは、フランスの聖地シャルトルの大聖堂を訪れた時のことです。北側にある見事なローズウインドウを見ていて、それが私たちがこの世に生まれ出る前にいたところを模していると聞いた時、突然号泣してしまったのです。私はキリスト教徒ではないのですが、どう言うわけか、この世に来る前にいたところがとても懐かしく、その号泣は懐かしさとそこに帰りたいような切ないような、とにかくそのエネルギーにずっと触れていたいといような、そんな感覚でした。あのように懐かしく美しい場所を離れて、何のためにこの地球でこの生を受けているのか、とも考えました。それからはどう言うわけか号泣が止まらず、次の日も、聖堂内の床に描かれている大きなラビリンズを歩きながら、またしても号泣してしまいました。」

 この感想文を読むと、この女性も量子もつれを体験されたに相違ないと思いました。それともう一点、「私はキリスト教徒ではないのですが、どう言うわけか、この世に来る前にいたところがとても懐かしく、その号泣は懐かしさとそこに帰りたいような切ないような、とにかくそのエネルギーにずっと触れていたいといような、そんな感覚でした。」

 この感覚は、量子論で考えたらどうなるでしょうか。
 きっとこの女性は、教会の建物の量子と自分の身体を構成している量子が、さまざまに量子もつれをしたために、量子に記憶された過去生を思い出したのです。
 思想家の中に、過去生の記憶は原子の中にこめられているという人もいます。そうであるならば、私がインドやパキスタンで体験したデジャヴ(既視感)は、現地の量子と私の量子がもつれ現象を起こして、私に過去生を思い出させたことになったのだ、と納得しました。

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