量子論の不思議な世界

量子論の不思議な世界 13


量子論の不思議

 アインシュタインがいうように、時間は直線的に進むわけではないし、過去も現在も未来もあの世も、同時進行している可能性があるのですから、過去にも未来にもエネルギーの分身がいても別に不思議ではありません。
 そう考えると、過去に亡くなった人の原子がバラバラになって、また意識によって一つにまとまるなら、自分と同じエネルギーを半分ずつ持つ分身が、この世にもう一人いてもおかしくないことになります。

 量子力学では、情報を持つ量子には、時間を先に進める先行波と、後ろに進める逆行波があり、その交差点を現在というそうです。理論的には、時間を先に進める未来にも、後ろにすすめる過去にも、アクセスすることが可能というのです。
 そして、量子はいきなり消えてしまったり、異次元にいったかのような動きをするので、パラレルワールドという考え方も生まれてきました。人間が、意識して量子を観察するたびに、宇宙が分岐してパラレルワールドができあがるとい学説もあります。宇宙のどこかで、もう一人の自分がいるというSF小説のような話です。

 このような学説を荒唐無稽だといえないのは、量子論がいろいろ奇妙な大発見をしているからです。その一つに 「反粒子」 があります。粒子と反粒子が出会うと、それら二つは消滅して無に帰してしまうというのです。そして分かったことは、真空では粒子と反粒子がたえず生成・消滅しているというのです。哲学的な 「無・ゼロ」 は、物理的にはあり得ないことだというのです。真空の中は、完全な無ではなく、無数の粒子と反粒子が存在して、生まれたり消えたりを繰り返してゆらいでいるからです。
 物質を構成する基本粒子である素粒子には、けっして不変のものではなくて、作られたり消えたり、別の粒子に形を変えたりするという自然の本質的なあいまいさがあります。量子論で分かったことは、「あいまいな自然」 こそが、自然の究極の姿であるということでした。

 今まで述べてきた量子理論は、研究が進むにつれて、西洋的な考え方から東洋的な考え方へシフトして行きました。量子論で、あいまいな自然の究極な姿を理解するには、東洋的な考え方が必要なのかもしれません。

 ヨーガでは、今に心をおいてよく生きることが大切にされます。今をよく生きることは、よく自分を知ることで、ここに深い意味があります。デルフォイのアポロン神殿の古代ギリシャの格言 「汝自身を知れ」 は、量子論を知って初めてその深い意味を理解できるのです。
人間が自分自身を知ることで、意識して量子を観察するたびに、量子は空間を左右上下に移動し、時間を過去にも未来にも移動するように、人間の感覚は時空を超えるのです。

 ヨーガや仏教では、宇宙と一体になるといいますが、何もしなくても、特別でなくても、私たちは普通に、量子論から見たら一つの宇宙のエネルギーを共有しています。
 私たちが今をよく生きることは、過去、現在、未来を含めた自分と、家族や友人、動植物や人類全体、宇宙やパラレルワールドに至るまで、一つのエネルギーとして繋がって影響していることになります。もちろん先に旅立たれた人たちとも繋がっているのです。そう考えると、もし私が死んだら、パラレルワールドのもう一人の自分や、今は亡き人たちと出会うことができるのかもしれません。そう思うだけで、楽しくなります。

 私たちが死を怖がるのは、今いるこの世界が唯一絶対で、一つしかないと強く思いこんでいるからなのです。量子論の不思議な世界は、そんな思いから解放してくれるのです。

2021年7月28日     望月 勇



<<前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13