生きて死んで、そして魂のゆくえ

人生100年、老いと死について考える 3


 また古代ギリシャのプラトンとアリストテレスの老人論に言及しています。老いの二面性です。社会的には、敬老と棄老です。個人的には、賢者と厄介者です。プラトンは、加齢によって人間の肉体は衰弱するけれども、魂はかえって英知を現すと言いました。だからギリシャの理想国家では、政治を行なう者は老人でなければならなかったのです。
 面白いことにプラトンの弟子であるアリストテレスはその正反対でした。現実主義者のアリストテレスは、肉体と同様、精神にも老衰があると考え、精神だけではなく、肉体の健康の維持が大切であると考えたのです。確かに歳を取ると卑屈さや頑固さが目立ってきます。

 また老化が仕事に及ぼす影響をあげています。知的な、あるいは創造的な仕事をする人は老化が少ないといいます。ただ60歳を過ぎて書くものは、二番煎じのお茶ほどの価値しかなく、科学者は30代がピークでそれ以降は新しい発見や発明はないと手厳しいです。その中で年齢が上がるほど才能が発揮される職業もあり、画家と音楽家を上げています。絵も音楽も晩年に傑作が生まれることが多いのです。この意見は、老いてから何をやろうかと考えている人にはいいヒントになります。

 年を取ると学ぼうとする意欲が減退します。やりたいことは老後に回すのではなく、意欲がある時にやるべきであるといいます。彼女は、衰えに目をつぶるのではなく、しっかりと目を開けて、現実を否定せず、老いを受容しなくてはならないといいます。
 近代以降、人々は会社で働きだすと日々時間に追われ、人生をどう生きるかなど考えている暇はなく、退職したら何をしていいのか分からず、多くの人たちは老年期を粗大ごみのように扱われて人生を終わります。恵まれた裕福な少数の人たちは、さまざまな関心を持つ余裕があり、老いに対して人生の再転換が容易なのです。

 彼女は、近代化が老人の地位を低めたと言います。人間を道具のように使ったあげく、老いて使いものにならなくなると部品を替えるように若い人に入れ替えるだけ。老いを機械の道具のように考え、いかにネガティブに扱ってきたか、文明社会でありながら、老いた人間を厄介者にして廃物扱いをする、そのように老人を扱うことは文明のスキャンダルであると弾劾しています。
 そうしてボーボワールは、豊かな人間らしい老いを生きるには、個人が乗り越えるべき問題ではなく、文明が引き受けるべき課題であると主張します。

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