生きて死んで、そして魂のゆくえ

人生100年、老いと死について考える 4

ブッダの死

 今度は東洋の仏教に目を向けてみましょう。ブッダは80歳まで長生きして、最後は林の中で食中毒になり、また一説には直腸癌で下血して死に至りました。そのためブッダは、生と死の間に、老と病を体験したのです。そして老いることで、肉体的な自由は奪われていきますが、その中で人生を深めることができるので、むしろ喜ばしいと考えました。ブッダは、老いをポジティブに考えたのです。

 古代のインドには、ブッダの生まれる以前から、林住期という老いの生きる道しるべがありました。それは人生を4つに区切った四住期と呼ばれる段階の一つです。
 四住期とは、学生期、家住期、林住期、遊行期の4つのステージです。学生期は、若い頃に生きるための術を学ぶ時期です。家住期は、子育てをしたり、仕事で働く時期です。林住期は、引退して仕事をゆずり、家族と別れて、林の中で修行して自分の内面と向き合い、成熟を目指す段階です。遊行期は、75歳を過ぎたら、最後のひとときを楽しむために、終の住処を見つけて旅をすることです。
 日本の松尾芭蕉や西行などは、この林住期を楽しんで生きたのではないでしょうか。

 日本ではどうでしょうか? 日本は、仏教の影響もあって明治維新まで 「生老病死」がありました。それ以後は西欧の影響を受けて死を人目につかなくして老いを否定し、アンチ・エイジングをして、長生きを目指して不老不死へ向かっているようです。
 日本には、大昔から老いへの神聖視があったのです。老いても老成し、成熟して翁(おきな)のような存在になっていくのです。近代以前の日本では、長く生きることはまれでありました。長く生きれば生きるほど死は確かなものになり、あの世に近い存在として翁や媼(おみな・おうな)が位置づけされます。そして長寿は生命力の強さと幸運の象徴として、翁や媼の舞が芸能として登場してくるのです。

 96歳で亡くなった鈴木大拙は、「九十歳にならんとわからんこともあるんだぞ、長生きをするものだ」 と言ったといいます。人間は、老いのなかでも、死ぬまで成長するものだ、90歳にならないと分からないこともあるのだと教えているようです。
 また病気は悪いことばかりではありません。病気になっても元気で生きて、病気をきっかけに成熟してゆく人は多くいます。病気には、その人を成熟させる遺伝子のようなものがあるのかもしれません。

 それではブッダは老いや病や死をどう考えたのでしょうか。ブッダは、若さに執着するから 「老」 を苦と感じ、健康に執着するから 「病」 を苦と感じ、いのちに執着するから 「死」 を苦と感じると悟ったのでした。
 別の言い方をすれば、苦から解放されるには、求めないことです。若さを求めるから老いを苦と感じるのです。健康を求めるから病気を苦と感じるのです。長生きを求めるから死ぬことを苦と感じるのです。
 求めないことです。これをしよう、あれをしなければ、と求め続けると、出来ないことに不満が募り精神的に参ってしまいます。求めるのをやめて、「今ここ」 に心をおくのです。

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