竹富島で日本人のルーツを考える

言葉から見えてくるもの 7


孤独について

 それは自分自身を孤独におくことです。自分の意味を押し付けてくる周りから、少し距離を取って、自分の意識を 「まわり」 ではなく 「自分」 に向けることです。孤独とは、かけ離れてしまった社会的な自分ではなく、「本来の自分」 に気づく作業です。

 孤独は、日本語では一つしかありませんが、英語の孤独にはソリチュード(solitude)と、ロンリネス(loneliness)の二種類があります。

 日本語で 「孤独」 というとネガティブなニュアンスがあり、孤独感を抱いている人を指します。また友達がいなかったり、一人でいることが寂しいと感じ、いつも孤独を恐れていて誰かと一緒にいたいと思ったり、自分の気持ちを抑えても他人に合わせようとします。この孤独をロンリネスといいます。

 英語やフランス語の孤独ソリチュードは、一人でいること、自分と向き合うということです。孤独な自分の時間は、自分の未来を形づくり、自分の手を引いて新たな自分の場所に導いてくれます。
 哲学者のルソーは、「自分の内面を見つめ直す時間」 「充電して、新たな自分に生まれ変わる時間」 の意味で使っていたといいます。
 誰かと一緒にいることは、自分以外のものに気を配ることで、自分へ気を配ることがおろそかになり、自分をないがしろにすることになる。人は自分を大切にするなら、孤独の時間を大切にしなければならない、ということをフランスの哲学者ドゥルーズもいっています。

 孤独は、過去の自分を振り返るということで、後ろ向きのようですが、実は建設的なのです。自分を見つめれば見つめるほど、新しい人生に踏み切り、飛び込んでいくための力は強くなるからです。
 私たちは自分を見つめて何の役に立つのかと思います。そんな時間があったら、新しい知識をいっぱい覚えた方がよほど役に立つと考えます。役に立つことを基準にすると、いまの自分に役に立つというだけで、常に目的が限定されて、自分の未来という可能性を最初から限定してしまいます。目先の利益を追求すると、その場限りの薄っぺらな利益で満足することを強いられ、心の中に不満の澱(おり)が溜まります。そんな刹那的な生きかたは人を幸せにはしません。

 本当の幸せを探すなら、役に立つ、立たないという単純な二分法から身を引くことです。そして自分が覚えた知識や価値が、絶対正しいと思い込むことからも、自由になることです。
 そのような絶対化を壊してくれるのが、自由であり孤独(solitude)な時間です。孤独とは絶対的な自由を与えるきっかけをつくり、未来へ大きくジャンプさせてくれます。
 ところで、私が孤独から導き出した一つは、「私は、ヨーガで人間活動する」 でした。

 孤独をポジティブに思っても、ただ人間は他者を求めるあまり、独りであることを否定的にとらえがちです。そういう人は、人間は本来独りである、と認識すべきです。
 本当の幸せを探すなら、私たち人間とは孤独でありながら、つながり(社会)を求める矛盾した存在であることに、まずは気づくべきです。

孤独でありながら社会とつながるには、外にでたら簡単な挨拶を交わすことです。
コンビニのスーパーのレジで、「こんにちは」 とか 「今日はいい天気ですね」 といった短い会話を交わすだけで、私たちは社会とつながります。そして安心感と幸福感をもたらします。個人の幸せは、このような社会性の実現と、自分独りでしかできない孤独な時間を大切にすることで実現するのです。

オランダでは、あるスーパーで緑のカゴを持つと話しかけてもOKというサインになり、会話を楽しんで、老人や独り暮らしの人々の支えになり、話題と支持を集めているそうです。ロンドンでも、レジで店員が仕事そっちのけでお客と長々と話し込んでいる光景を目にします。日本では、早くしろ、といわれそうですが。
最近、アメリカやカナダの心理学者が複数の調査・研究から、うわべだけの世間話をすることで幸福感が高まる、という結果を導きだしているようです。家族や友人だけでなく、まったく知らない人との何気ない会話が、心を明るく温かくしてくれる、というのです。
言葉とは不思議なものです。記号にすぎない言葉が、話すことでお互いがここで生きることを確かめあう証になっているのですから。

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