竹富島で日本人のルーツを考える

言葉から見えてくるもの 2


 急にお腹が痛くなり、下痢をしました。こんな砂漠のどこからやって来たのかハエが群がってきたので、便に砂をまぶして時間をつぶして過ごしました。

 空の青さが異様に感じられ、時間が餅のようにのびて、周りは透き通った炎に揺れていました。途中で見たヤギの干からびた死骸がまぶたにちらつきました。
 私は弱気になり、思わず泣き叫びそうになったときでした。谷の下流の方から20頭くらいのラクダの群れがやって来たのです。
 そのラクダを見た瞬間、私は心の過剰な自己観察から、ぱっと解放されました。そして、「何とかなるぞ!」 という気がして、元気が出てきました。
 きっとラクダは、砂漠の民ベドウィンの元へ帰ってゆくのに違いない、ラクダが行く方へ進めば、水と食べ物があるはずだ、と確信した私は、夢中になってラクダの後を追いました。群れはあっという間に見えなくなりました。
 ラクダのおかげで私は、谷から広い砂漠地帯にでることができました。それから一日歩き続けた翌日、シナイ山のふもと、モーセゆかりの地聖カタリナ修道院へたどり着くことができたのでした。

 この体験以後、自分は 「生かされている」 というスピリチュアルな意識が、私を救ってくれたのだと思うようになりました。このスピリチュアルな体験は、私の人生に不思議な力を与えてくれたのです。それはどんな状況になっても、決して私を見捨てないで、いつも私に寄り添って一緒に歩んでくれる超越的な存在でした。それは、特にヨーガを始めてから強く感じられ、これから起きて来ることに対して、どのように考えて行動したらよいかを、リラックスしていると心の奥底から印象で知らせてくれるメッセージでした。

 この存在からのメッセージは、死を目前にした人にも勇気づけることができました。
 昔、悪性リンパ腫が全身に転移して、医師から死を宣告された40代の男性がいました。私の人生は、ただ死を待つ状態ですというのです。深い絶望を感じて、自分の人生を恨むばかりでした。彼に、「この宇宙で、たった一人しかいないあなたには、必ず生きる意味があります。自分の生きる意味を見つけてください。自分の生きる意味を見つければ、どんな状況でも明るく生きてゆくことができます」 とアドバイスしました。
 この言葉が心に届いたのか、やがて彼は生きる意味を見つけたのです。自分がいつも悲しい顔をしていると、お掃除のおばさんや看護師や医師も悲しい顔をすることに気がついたのです。そこで彼は、自分ではまったく体を動かすことができなくても、笑顔をつくることならできる。私がほほ笑めば相手も必ず笑顔になるということに気がついて、彼は自分が今生きているのは、相手を笑顔にさせることなのだという、生きる意味を見つけたのでした。このようなささいなことでも、彼は大きなエネルギーを得て、明るく体調もよくなったのでした。

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