超越的な感覚で時間を伸ばし、思いを実現させる方法 5
意識は、量子力学によって説明できるか
意識はどこからやってきて、どのように働くのかは、科学分野では、「意識の難問」といわれてきました。物理的な脳が属する「精神世界」と、心と思考、感情が属する「精神世界」には、とうてい埋められそうもない溝があります。
100年以上前に、観察者効果という現象が発見されたことで、意識が存在するという証拠は、量子論にあると一部ではすでにみなされていました。
一方、アインシュタインをはじめとするほかの科学者たちは、そうはみなしませんでした。
ところが、ノーベル賞受賞者である物理学者のロジャー・ペンローズ(1931年~)は、アインシュタインとはまったく対照的に、意識は量子力学によって成り立っていると主張しています。ペンローズの主張は、観察者効果への「粒子の反応」とまったく同じように、量子力学の事象に反応して「状態が変化する分子構造」が人間の脳に存在しているというものです。
二つ目は、「量子重ね合わせ」です。量子は、粒子と波の性質を、重ね合わせたように同時に持っていますが、観察することでそのどちらかが確定するという原理です。
三つ目は、「量子もつれ」です。粒子同士が、たとえ宇宙の両端ほど離れていても、何らかの方法で瞬時にやりとりができるというのです。こうした形で深く関わり合っている粒子は、「量子もつれ」の状態にあるといいます。
たとえば、科学者の一人が一方の光子の性質を計測すると、もう一方の光子が送られた場所にいる別の科学者は、そちらの光子の値を瞬時に知ることができるのです。そして、量子もつれが、光子以外の粒子でも見られることです。その粒子の性質は、観察されるまで未知でありつづけるため、ここでも観察者効果が働いていることがわかります。
この量子もつれの状態は、光よりも速く信号を送り合えるので、「光速不変の原理」上あり得ないのです。アインシュタインは、この現象を「不気味な遠隔操作」と呼んで認めませんでした。ところが「量子もつれ」が正しいことが証明され、2022年のノーベル物理学賞は、この「量子もつれ」を研究してきた3人の科学者に贈られました。
もし量子もつれが事実で、物質は観察されるまで重ね合わせの状態で存在し、さらに観察者効果によって現実がつくられるのであれば、どんなことだって起きるといえます。
人々の頭のなかにある思いや意図をすべて数え上げれば、起きうる出来事は無限にあることがわかります。
私たちは、時間は実体あるものだという思い込みを捨て去りすれば、私たちはいつでも、「過去や未来」にふれられるのです。「過去を書き換える」こともできれば、「未来に影響を与える」こともできるのです。この時間の捉え方は、因果性の物理法則に逆らうものですが、専門的には 「量子論」 と呼ばれています。
量子論を知ってから、私はこのように思うことがあります。私は今、部屋の中に飾ってあるマコンデ族の彫刻を見ています。すると私がアフリカを旅した過去の思い出が出てきます。タンザニアの露店で黒檀の彫刻を買ったときのことが、ありありと見えてきます。私は、今現在にいますが、過去が現在に流れ込んで来ています。また将来のことを思うと、現在に未来が流れ込んできます。
これをフランスの哲学者ベルクソン(1859年~1941年)流にいったら、私の心の内なるイマージュ(英語でイメージ)が、アフリカの黒檀の彫刻の外なるイマージュと一体となり、目の前にありありとタンザニアの光景が浮き上がって見えてくるのです。過去が今に在るのです。
このような感覚を文学にしたのが、マルセル・プルースト(1871年~1922年)の『失われた時を求めて』 だと思います。紅茶にしたしてマドレーヌというお菓子を食べている時に、主人公の心の内なるイマージュと、マドレーヌを食べたときの外なるイマージュが融合して、10代のころに好きだった女の子が、ありありと目の前によみがえって現れたのです。ここにも過去の時間が、今に流れ込んで来ています。私は、難解で知られるこの小説を、若いころに読みましたがさっぱり分かりませんでした。今、量子論を知ったことで、ちょっと小説が理解できたように思いました。
私たちは、時間は一方的に常に前に進みつづけるものだと思い込んでいますが、このように、普段はほぼ「無意識に」時間の歩みを緩めたり速めたり、過去に行ったり帰ったり、未来に行ったり戻ったりしているのです。
アインシュタインによると、時間には普遍的な時間の流れなど存在せず、絶対的でもなく、過去から今、そして未来に直線的につながるわけではなく、今が過去と同時にあり、観察者によって今をどう見るかにより、時間の順序や長さが変わるというのです。人間の感覚は、時空を超えているのです。アインシュタイン自身は、本気でそう考えていたようです。