生きて死んで、そして魂のゆくえ 4
なぜ死はあるのか?
先人たちのこのような考えを知ると、人間はロゴス的知性(左脳)で死を恐怖し、レンマ的知性(右脳)では、無意識に死と向き合う覚悟ができていたのではないでしょうか。
日本の禅の実践者であったAppleの元創業者スティーブ・ジョブズは、死に直面してこう述べています。 「死はたぶん、生命の最高の発明です」 と。
死は生命の最高の発明とは、どういうことでしょうか? これを生物学で説明すると、もともと単細胞の生物には死はなく、死は多細胞の進化の途上でできたというのです。死なないで生き続けていれば、化学物質や活性酸素や紫外線などによって遺伝子にキズがつき、老化した個体が突然変異を起こして、とんでもない姿で生き続けることになるかもしれません。
これを回避するには、古くなってキズがついた遺伝子を個体ごと消去する必要があったのです。これが死が生まれた理由なのです。
このため細胞は毎日アポトーシス(自死装置)を発動して、死んではまた新しく細胞を再生しますが、再生する回数に上限をセットしました。上限を超えたら死を迎えるのです。
ちなみに人間の場合は約50回再生が可能です。50回ほど使い切って老衰死を迎えるころには100歳くらいになりますが、ストレスや暴飲暴食で再生回数を早く使い切ってしまえば短命になります。
人間の肉体は、日々死んではまた新しく生まれ変わっているのですから、右脳では、誰でも自分は必ず死ぬ運命にあるということを、無意識に自覚しているのではないでしょうか。
私たち人類ホモサピエンスは、多くの種の中で、唯一生き残った好奇心旺盛な種です。他はすべて絶滅しました。マヤ文明もインダス文明もクレタ文明も崩壊しました。
人類は今、戦争や地球環境への変化などで、地球に打撃を与え続けています。現代文明も、私たちは遠くない将来崩壊する日を見ることになるかもしれません。この宇宙も、星が生まれては消え、消えてはまた生まれています。それが現実です。命あるいは人生は、はかないものだからこそ、貴重なのだといえるのです。